シベリウス/交響曲全集 (Jean Sibelius : The Complete Symphonies) |
1899年から1924年にかけてのおよそ25年間が、交響曲作家としてのシベリウスの活動時期でございます。 音楽も時代によってそのスタイルが移り変わっていくものですが、19世紀の終わりから20世紀の前半までの音楽界というものは、まさに激動の時代と申してよく、旧来の機能和声法に立脚したロマンティックなものから耳をつんざくような不協和音に満ちたものまで、ありとあらゆる様式がほとんど無秩序に乱立した時期でもありました。 |
1892年に大作「クレルヴォ交響曲」を引っ提げてデビューしたとき、シベリウスの風貌はやや遅れて来たロマン主義的国民楽派のそれでございました。 国民楽派は19世紀の後半からロシア、ボヘミア、ノルウェイ、デンマークなどで花開き、ロシア五人組、スメタナやドヴォルザーク、グリーグやスヴェンセン、ゲーゼなど、著名な作曲家を輩出しました。国民楽派の最大の特徴はいうまでもなく固有の国民性・民族性を色濃く作品に取り込んでいる点であり、ボロディンやリムスキー=コルサコフ、ドヴォルザーク、グリーグなどは、19世紀の80年代以降、ヨーロッパ楽壇のビッグネームとして知られておりました。 「クレルヴォ交響曲」発表からおよそ10年あまりの期間、シベリウスは上記のような国民楽派の一人としてふるまい、国民性に立脚した作曲家としてフィンランドの国民的英雄とみなされるに至りました。今日一般にシベリウスの代表曲として知られる「トゥオネラの白鳥」やカレリア組曲、「フィンランディア」のようなフィンランドの伝説や歴史に基づいた作品の多くは、この時期の産物でございます。そして、シベリウスの全交響曲の中でももっとも人気の高い第1、第2が書かれたのも、まさにこの時期でございました。
ところが、デビューから15年ほどを経た頃から、シベリウスの作風は大きく変化します。それまでの雄弁なスタイルは後退し、作品は著しく内省的になってまいります。同時に楽曲構成は精緻さを増し、形式的には特異な外貌を備えるに至ります。
1920年代に至ると、シベリウスの音楽はより簡潔で含蓄の深いものになってまいります。すべてを語り尽くすことを避け、行間を読ませるようなそのスタイルは、作品のもつ比較的小さなサイズに反して、広大な世界を感じさせる余韻の深い音楽として結晶しました。第5交響曲とほぼ同時期に着想されながら、10年近くにわたって様々に構想を変え、推敲され続けた2つの交響曲、第6と第7がこの時期の産物でございます。
第7交響曲のあとも、シベリウスは交響曲作曲の筆を折ろうとは考えておりませんでした。1920年代の終わりから40年代にかけて、第8交響曲を生み出すための膨大な努力が積み重ねられます。
シベリウスの残した7つの交響曲は、様式上でも世界観においても、大きな振幅をもっております。ベートーヴェン以降、生涯にわたって交響曲を書き続けた作曲家は何人もおりますが、出発点から到達点までの様式や表現の変化・深化の大きさにおいて、シベリウスの交響曲は特筆すべき存在でございます。 |
(2006.1.28〜2016.8.29) |