シベリウス/交響曲第2番 ニ長調 作品43
(Jean Sibelius : Symphony No.2 in D major, Op.43)

Sibelius 1899年、第1交響曲の成功で大きな自信を得た34歳のシベリウスは、早くもその年の初夏には次の交響曲の構想を練り始めます。このとき着想されたのは現在の終楽章の第1主題にあたる楽想でしたが、間もなくシベリウスは第1交響曲の改訂や新作の作曲に忙殺され、しばらく第2交響曲は放置されます。
世紀が変わった1901年の2月、友人で後援者でもあったカルペラン男爵の経済的援助を受けて、シベリウスは家族とともにイタリアへ向かい、その地でおよそ1ヶ月に亘って休暇を過しました。
温暖で風光明媚なイタリアはシベリウスに新鮮な創作意欲をかき立てたようで、第2交響曲の仕事はジェノヴァ近郊の滞在地で大いに進捗し、帰国後も書き進められて年内に完成いたしました。

初演は翌1902年3月8日、シベリウス自身の指揮によってヘルシンキで行われ、大成功を収めました。が、シベリウスはそれに満足せず、さらに改訂の筆を入れ、1903年になってようやく現行版を完成しました。このとき、第1楽章の指定が「アレグレット・モデラート」から単に「アレグレット」へと変更されております。改訂版はその年の11月10日、ストックホルムでアルマス・ヤーネフェルトの指揮で初演され、これまた大成功を収めました。
ちなみに、この演奏会に出席したスウェーデンの作曲家ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871〜1927)は、シベリウスの第2交響曲に感嘆のあまり、完成して間もない自身の第1交響曲を撤回し、生涯発表しなかったということでございます。また、ピアニストのグレン・グールド(1932〜82)は若い頃、第2交響曲の終楽章の主題を好んで口笛で吹いていたそうでございます^^
初演以来成功を続けた第2交響曲は間もなく世界各地で演奏されてシベリウスの名を広め、今日でもこの作曲家の交響曲中、もっとも人気のある作品となっております。

第2交響曲は4つの楽章で構成されておりますが、第3楽章と第4楽章は切れ目なく演奏されるように書かれております。第1楽章の冒頭に現れる3度音程の上行音型が全曲に亘って統一感をもたらしておりますが、この原型は上記のように最初に着想された終楽章の楽想によるものでございます。
悲劇性を帯びた第2楽章から壮麗な第4楽章までの軌跡は、ベートーヴェン的な暗闇から光明へというプロセスを連想させ、終楽章はまるで勝利の凱歌のような響きをもっておりますが、とりわけ興味深いのは第1楽章で、ここでは一見脈絡もなくただ無造作に置かれただけのように思えるいくつかの楽想が、さまざまな展開を経て有機的な真の姿に成長する、というシベリウス的な書法の醍醐味を堪能できる気がいたします。

このたび、「あそびの音楽館」では、第2交響曲を2台のピアノ用にアレンジしてみました。
原曲の面白味はほとんど残っていない編曲ではございますが、暇つぶしにでもお聴きいただければ幸甚でございますm(__)m

(2011.6.3〜6.21)

交響曲第2番 ニ長調 作品43・全曲連続再生  

第1楽章:アレグレット(I. Allegretto) 
第2楽章:テンポ・アンダンテ、マ・ルバート(II. Tempo Andante, ma rubato) 
第3楽章:ヴィヴァーチッシモ − 第4楽章:フィナーレ/アレグロ・モデラート 
       (III. Vivacissimo - IV. Finale : Allegro moderato) 

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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma