シベリウス/交響曲第4番 イ短調 作品63 (Jean Sibelius : Symphony No.4 in A minor, Op.63) | |
1904年のヤルヴェンパー移住以来、シベリウスはそれまでのロマン主義的国民楽派の作風からの脱皮を図り、より簡潔で抑制された独自のスタイルを追求してまいりましたが、1911年の4月に発表された第4交響曲において、そのひとつの頂点に達したと申してよろしいかと存じます。 |
この交響曲は1910年に着手され、翌年の3月末に書き上げられました。シベリウス自身の指揮による初演は4月3日ですから、ギリギリまで作曲を続けていたことになります。そんな状態で、よくまあ新作をまともに演奏できたものだと、妙なところに感心してしまいます。 第4交響曲着手に先立つ2年前の1908年、シベリウスは喉の腫瘍のため死の恐怖を味わっておりました。2度の手術によって病巣は摘出され、病は完治しましたが、この時の体験が交響曲に陰影を与えたことは否定できないと存じます。 さらに、闘病生活を脱した1909年にシベリウスはカレリア地方のコリ山地に出かけ、その景観から受けた強い印象が交響曲作曲の直接のきっかけになったようでございます。 さてここで、第4交響曲が発表された1911年前後にヨーロッパの音楽界に現れたいくつかの作品を、順不同に見てみましょう。
エルガー:ヴァイオリン協奏曲(1910)、交響曲第2番(1911) 思いつくままに列挙してみましたが、後期ロマン派から印象派、バーバリズムからウィーン無調派まで、さまざまな作風や技法が入り乱れておりますことが窺えます。そして、このような音楽界の動向、とりわけ印象派やウィーン無調派の作品に著しい機能和声法からの離脱という現象が、現役作曲家としてのシベリウスと無縁であったはずはありません。この時期に書かれたいくつかの作品、1909年の弦楽四重奏曲「親愛なる声」と「夜の騎行と日の出」、1910年の「森の精」などには、当時の先端的な音楽技法の反映が見て取れると思われます。
しかしながら、シベリウスは新しい音楽技法を単に技法のために用いることはありませんでした。従来の調性に拠らない旋法、機能和声を無視するような不協和音、さらには複調のような技法の使用は極めて抑制的で、音楽のニューモードを誇示することはございません。 「私はこの交響曲を、現在の音楽に対する異議申し立てとして書きました。私の作品には、現代音楽に見られるような曲芸じみたものは、絶対になにひとつありません!」
ところが、初演を聴いた聴衆の多くは、この交響曲にひどく当惑させられました。それは単に第1、第2交響曲のシベリウスのイメージと異なるというばかりでなく、なにか非常に理解しがたい音楽のように思えたからです。その印象はその後ヨーロッパ各地で演奏された後も容易に拭われず、「未来派の交響曲」と呼ばれさえしました。
「新しい世界が、交響曲作家としてのシベリウスに開かれたように思える。その世界とは、これまで示されたことがなく、高度に研ぎ澄まされたシベリウスの色彩とメロディの感覚が描き出すことのできる世界である」(オスカー・メリカント、1911)
「第4交響曲は、音楽界に健全な影響を及ぼす。この作品は、空虚な印象主義、味気ない機械主義、低劣な自然主義に対する静かな抗議を含んでいる」(エリク・フルイェルム、1916)
やがて、イギリスの批評家セシル・グレイ(1895〜1951)が「無駄な音符がひとつもな」く、シベリウスは「おそらく、これ以上のものを書かなかった」とまで賞賛して以来、第4交響曲はシベリウスの最高傑作として認知されるようになりました。シベリウス自身、1940年代には次のように語っております。
「いま見返してみても、この作品の中に私は、ただのひとつも削除すべき音符、あるいは付け加えるべき音符を見出すことができません。私はこの曲に意を強くし、満足しています。第4交響曲は私にとっては非常に重要で、極めて出来のよいものです。私はこれを書いたことを喜びに思っています」
けれども、この作品については懐疑的な見解も少なくありません。ヴァージル・トムスンは「1940年代の現在に至っても、依然としてこの交響曲は理解しがたい」といい、ネヴィル・カーダスは1950年代の批評で「これは氷点下の交響曲であり、影の交響曲である。その脈搏は低い」と否定的でございます。
第4交響曲は、形の上では伝統に沿って4つの楽章から成っておりますが、個々の楽章は従来の交響曲形式では説明のつかない独特の構成をもっております。
第1楽章はモデラートといいながら実質的にはアダージョで、全曲中唯一、伝統的なソナタ形式の骨組みで書かれております。ただし、主題は基本的に息の短い動機で、まとまった旋律の形は滅多にとりません。最も重要なのは、曲の冒頭に示されるC-D-Fis-E(ハ-ニ-嬰ヘ-ホ)という音列で、これは2つの三全音(C-D-E、D-E-Fis)の合成から成り、全曲の根源的な核となっております。
第2楽章は、前半は2つのトリオをもつスケルツォと見られますが、各部分は極めて簡潔に書かれ、要点だけであとは省略、といった趣きをもっております。それに対して後半は奇妙な主題が繰り返されるオスティナートふうの音楽で、軽妙で牧歌的なスケルツォとは対照的な不穏な雰囲気を漂わせます。第3交響曲や第5交響曲に見られる、ひとつの楽章の中で複数の性格の音楽を融合させるシベリウス独特の形式でございます。
第3楽章は緩徐楽章ですが、ここでは動機が対話しながら真の主題を探索する、というような進行を見せます。主題がまとまった形で現れるのは曲が3分の1ほども進んでからで、その後は全曲中でここだけ、息の長い主題が朗々と歌い上げられます。
第4楽章は晴ればれとした表情で始まる無窮動ふうの音楽で、ひとまずはフィナーレらしい活気を帯びております。構造的にはソナタ形式に準じてはおりますが、その扱いは非常に自由です。原曲ではグロッケンシュピールも参加して明るく透明感のある響きを聴かせますが、やがて大気の動きが鎮まると、音楽は陰影を深めてゆき、最後は暗い雰囲気で、ある種あっけない終結を迎えます。
このような特異な作風の交響曲が初演当時(あるいは今日に至るまで)大きな戸惑いをもって受け取られたのは無理もないことと思われます。シベリウス自身、この作品のあとも交響曲形式における探求は続けましたが、内容的にこれほど「とんがった」交響曲は二度と書きませんでした。
このたび、「あそびの音楽館」では、第4交響曲を2台のピアノ用にアレンジしてみました。 |
(2014.9.29〜10.18) |