チャイコフスキー/マンフレッド交響曲 作品58 (Tchaikovsky : Manfred - Symphony, Op.58) | |
1882年、チャイコフスキーはバラキレフからバイロンの劇詩「マンフレッド」に基づく交響曲の作曲を勧められます。バラキレフはかつて(1867年)ベルリオーズに同じ提案をしたことがあり、それは実現しませんでしたが、15年後になってもバラキレフはこのアイディアをあたため続けていたようでございます。 バラキレフとチャイコフスキーの交友は1868年頃から続いており、まだデビュー間もないチャイコフスキーにバラキレフは先輩としていろいろと助言したこともあり、一時はかなり親密でもありました。その当時、バラキレフの提案に従って初期の傑作「ロミオとジュリエット」が書き上げられたことをご存じの方も多いでしょう。 |
バラキレフは「マンフレッド」を交響曲化するための具体的なアイディアを、概略以下のようにチャイコフスキーに書き送っております。
「第1楽章。ベルリオーズの2つの交響曲(『幻想交響曲』と『イタリアのハロルド』)のように、あなたの交響曲も固有のイデー・フィクスをもたねばなりません。それはマンフレッド自身を表し、各楽章に浸透するものです。…(主部は)嬰ヘ短調、第2主題はニ長調、あとで嬰ヘ長調」 これに対して、チャイコフスキーは概略以下のように返信いたしました。 「あなたのご提案に従えば、効果的な交響曲が生み出せるであろうことに私は同意します。しかし、そうして出来上がった交響曲を想像しても、私の心は少しも浮き立たないのです。私はシューマンの『マンフレッド』を愛しており、シューマンがバイロンの作品に提供した音楽とは異なるやり方で『マンフレッド』を音楽化できるとは到底思えないのです」 それから2年後の1884年、バラキレフはまたもチャイコフスキーに手紙を送り、「マンフレッド」の交響曲化を勧めます。このときのバラキレフの指示は、1882年の手紙と比べてはるかに詳細にわたっております。
「交響曲は変ロ短調でなければなりません、変ロ長調ではなく」 そこまでいろいろと考えているなら自分で作曲すればよさそうなものですが、あくまで他人に書かせようとするのがバラキレフ流なのでしょう。ともかく、根負けしたのでしょうか、チャイコフスキーは概略以下のように返信しております。 「とりあえず、できる限りあなたのご要望に沿うよう努力することをお約束します」
しかしながらチャイコフスキーはただちにこの作品に取り掛かることはせず、まもなく国外に旅行に出かけてしまいます。 「あなたのご要望をどうやら叶えることができました。『マンフレッド』が完成したのです。ほぼ4か月を費やした非常に難しく、苦しい仕事でしたが、同時に私に大きな喜びも与えてくれました。交響曲はあなたのご指示に従い、4つの楽章で構成されていますが、ひとつお詫びをしなければなりません。というのは、努力はしたのですが、調性や転調はどうしてもあなたのご要望どおりにならなかったのです。交響曲全体の主調はロ短調で書かれています。スケルツォだけはあなたのご希望に合わせることができました。演奏は容易でなく、弦楽のセクションには大編成が必要です。スコアの校正刷りができたら、すぐにお送りします」 マンフレッド交響曲は当然のことながらバラキレフに献呈され、翌1886年3月23日にモスクワで初演されました。初演後すぐに、チャイコフスキーはフォン・メック夫人に概略以下のような手紙を書いております。 「私はたいへん満足しています。この曲は、私の最上の作品のように思えます。演奏は見事でした。しかしながら、聴衆はあまり気乗りしない様子で、むしろ冷淡だったように思われます。一応それなりの拍手はしてくれましたが」
マンフレッド交響曲はその年のうちにパヴロフスクで1度、ニューヨークで2度演奏され、年末から翌年初頭にも2度にわたってサンクトペテルブルクで取り上げられておりますが、その後はどうやら作曲者没後まで演奏される機会がなかったようでございます。 「これは出来の悪い作品で、最初の楽章を除くと、われながら腹立たしさを禁じえないと申さねばなりません。本来ならば、私の出版社に、残りの3つの楽章は完全に破棄する、と伝えるべきところです。音楽的に実に貧弱で、とりわけ終楽章はひどいものです。ばかでかくて、正気とは思えない長さの交響曲です。私は交響詩に書き直すべきなのです、そうすれば、私の『マンフレッド』もだいぶマシになるでしょう。実際、最初の楽章を私は喜びをもって書いていたのですから。残りの部分は、単に努力の結果でっちあげたものに過ぎません」 このような自己批判がどれだけ正しかったのかわかりませんが、今日でもマンフレッド交響曲はチャイコフスキーの交響曲の中ではおそらくもっとも演奏機会に恵まれず、大指揮者のバーンスタインなどは「これは屑だ」と公言し、決して録音しなかったそうでございます。 さて、この作品は標題交響曲でございますから、各楽章に音楽の内容を表す文章が付けられております。それらは概略以下のようなものでございます。
【第1楽章】 この交響曲でチャイコフスキーは、通常の交響曲とは異なるやり方で全曲を構成しております。すなわち、第1楽章をソナタ形式とせず、長大な序奏と主題提示部にあて、終楽章に展開部と再現部、全曲のコーダをあてて、スケルツォと緩徐楽章を内部に取り込んだ巨大なソナタ形式、ともいうべきユニークな構成をとっているのでございます。少々強引な見方をするなら、この交響曲の構成法は、20年後のシェーンベルクの室内交響曲第1番、あるいはさらに後年のシベリウスの第7交響曲の先駆けと申せないこともございません。
ここで取り上げておりますピアノ連弾版は、はじめチャイコフスキー自身が編曲したものの、演奏が難しすぎる上に記譜上のミスが多いということで、ピアノ教師のアレクサンドラ・ユベルト(Aleksandra Ivanovna Hubert;1850〜1937)に依頼し、チャイコフスキーが監修したものでございます。 なお、「マンフレッド」各場面の大意はシューマンの「マンフレッド」のページにございます。よろしければご参照ください。 |
(2016.3.16〜4.5) |
マンフレッド交響曲・全曲連続再生 | |
第1楽章/レント・ルグーブレ(I. Lento lugubre) | |
第2楽章/ヴィヴァーチェ・コン・スピリート(II. Vivace con spirito) | |
第3楽章/田園曲:アンダンテ・コン・モート(III. Pastorale : Andante con moto) | |
第4楽章/アレグロ・コン・フォーコ(IV. Allegro con fuoco) | |
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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編 曲:P. I. チャイコフスキー/A. I. ユベルト ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma | |