「負けない生き方」・・・大きく分けて二通り考えられると思う。ひとつは、死ぬまで勝ち続けること。歴史に名を残した数々の偉人でさえも、そんな人間は見当たらない。彼らはみんな、偉大な功績を生み出すまでには、失敗と挫折を何度となく繰り返し経験している。だから、死ぬまで一度も負ける事なく勝ち続けるなんてことはまず不可能だろう。二つめは、一度も戦うことなく死んで逝く。そう、要するに〇勝〇敗〇分、戦歴なしの人生。俺には「負けない生き方」ってのが、一生補欠のまま一度の出番もなしに衰えて引退していくような・・・、そんな人生に見えてきちまったんだ。そして、「プレーヤー」として、何の実績も経験も記録も無いのに「元現役プレーヤー」として、次世代を背負って行く子供達を相手に、夢は大きく持て・・・、失敗を恐れず・・・、なんて語っていくような。 「自分自身」が本気で何かに「挑む」ことって凄く大切なことだと思うんだ。自分の能力レベルに関係なく、センスがあるとか無いとかの問題じゃなく、自分の意志で挑み、自分の体で「戦う」ことを体験することが・・・。 「戦う」・・・ライバルと、自分の弱さと、限界と、欲望と、恐怖と、疲労と、社会の矛盾と、・・・。「挑む」・・・始まりから終わりまで全て自分の意志によって決断し、「勇気」を覚え、喜び、挫折、本気、・・・、を知ってゆく。そういうことって、ただひたすら傍観していただけじゃ何ひとつ身につかないし、マニュアルやハウトゥーが全部解ったとしても実際の感覚や、痛み、悔しさ、コツなんかは全く知ることが出来ない。
俺が言いたいのは傍観者が悪いとか、そんなことじゃなくて、傍観者は他人に、そして子供達に「戦うこと」を教えるなってこと。自分の「可能性」を放棄した、経験もない者が何を教えられるっていうのさ。結局、他人の可能性まで潰す始末になるだろ。
自分自身の「可能性」は自分だけのものだ。だから自分で可能性の方向を決め、そして自分で守り、自分で挑み、戦っていかなければならないと思う。そこに初めて「経験」が生まれ、次世代に伝えたり、教える資格が発生してくるのではなかろうか。
俺は、子供達に「夢は大きく持って必ず実現させろ」ってずっと言ってあげられる大人になりたいんだ・・・。