●ジークフリート●
ふん、臆病者のじじいめ、逃げ出しやがった!
さあ、あの炎の壁を突き抜けてやるぞ。
この先に、おれの花嫁が待ってるんだから!
(ジークフリート、角笛を高らかに鳴らしながら、炎の中を岩山の頂きを目指して進む。激しく燃えていた炎は次第に弱まり、ジークフリートは晴れやかな青空の下、頂上に到達する)
●ジークフリート●
静かだけど、なんだか淋しいところだな……
なにかがあそこの木の陰に横たわっている……
あれは、馬じゃないか!
(進み出たジークフリート、樅の木の下に見える金属の輝きに気づく)
●ジークフリート●
なにか光っているぞ!なんだろう?
(ジークフリート、武装して横たわっているブリュンヒルデに近づく。ブリュンヒルデの頭は兜で覆われ、身体は大きな盾で守られている。ジークフリート、そっと盾を持ち上げる)
●ジークフリート●
これは、完全武装の男だ!
なんだか知らないが、この姿は見ていて気持ちがいい!
だけど、ちょっと窮屈そうだな。
兜を取ってやったら、楽になるんじゃないか?
(ジークフリート、ブリュンヒルデの兜を外す。豊かな髪と、美しい顔が現れる)
●ジークフリート●
なんてきれいな顔だろう!
胸も締め付けられて窮屈そうだな、この鎧も外してやろう。
(ジークフリート、鎧を止めている金具を剣で慎重に断ち切る。鎧が外れて、豊満な女体が姿を現す。驚くジークフリート)
●ジークフリート●
な、なんだ?これは、男じゃないぞ!
なんだか、心臓がバクバクする……!
おれは、どうしたらいいんだ?
だれか、助けてくれ!
どうしたら、この人を起こすことができるんだろう?
いや待て、ほんとに起こしていいものか?
この閉じている目が開いて、じっと見つめられたら、
おれはどうかなっちまうんじゃないか?
胸がドキドキして、頭はクラクラする!
おれはこんなに臆病だったのか?
これが「恐れ」ってものなのか?
おれはいったい、どうすればいい?
(ジークフリート、戸惑いと興奮を抑えながら、ブリュンヒルデをしげしげと見つめる)
●ジークフリート●
おーい、女の人、目を覚ましてくれよ!
おれの声が聞こえたら、起きてくれないか、頼むよ!
だめだ、全然目を覚まさない……
なあおい、目を覚まさないってんなら、くそ、思い切ったことをするぞ!
いいのか?いいんだよな?
(ジークフリート、おそるおそるブリュンヒルデの上に屈み込む)
●ジークフリート●
いいんだよな?
おれ、あんたにキスしちゃうぞ!
ほんとにしちゃうぞ!
(ジークフリート、そっとブリュンヒルデの唇に唇を重ねる。とたんにブリュンヒルデの目が開き、ジークフリートは弾かれたように飛びすさる)
●ブリュンヒルデ●
(ゆっくりと上体を起こし、空に向かって手を差し伸べる)
太陽よ、光よ、輝かしい大地よ……!
おまえたちを称えましょう!
いまこそ、私は長い長い眠りから目覚めた!
……誰が私を起こしたの?
●ジークフリート●
お……おれだよ!
炎を乗り越えてここまで来て、
あなたの鎧を外したんだ……
おれの名は、ジークフリート。
●ブリュンヒルデ●
ああ、神々に感謝します!
私を目覚めさせたのは、ジークフリート!
●ジークフリート●
母さん、ありがとう、おれを産んでくれて!
大地よ、おれを育ててくれてありがとう!
この人に見つめられて、おれは生きててよかったよ!
●ブリュンヒルデ●
あなたの母に感謝します、あなたを産んでくれて!
大地よ、あなたを育ててくれたことに感謝します!
あなただけが、私を目覚めさせることのできた人!
ねえ、ジークフリート、
私がどれほどあなたを愛しているか知ってる?
あなたがまだこの世に生まれ出るその前に、
この盾で私はあなたを守ったのよ!
あなたが生まれる前から、私はあなたを愛していたの!
●ジークフリート●
ちょっと待って……
じゃ、あなたはおれの母さん?
母さんは死んだんじゃなくて、眠っていただけ?
●ブリュンヒルデ●
いいえ、ジークフリート、あなたの母さんはもう戻ってこない。
でも、私を愛してくれれば、私はあなたそのものになれる!
私はあなたの知らないことを知ってる。
私が罰に落とされたのは、ヴォータンの本当の心を感じて、それに従ったから。
その本当の心とは、あなたへの愛だったの!
●ジークフリート●
あなたの言葉は、とても心地よく響くけど、
いってる意味は全然わからない!
わかってるのは、おれに「恐れ」を教えてくれたのは
あなただけだということだ!
(ブリュンヒルデ、眼差しを樅の木立に向ける)
●ブリュンヒルデ●
私のグラーネが元気に草を食んでいるわ。
あなたが私と一緒に、あの馬も目覚めさせたのね。
●ジークフリート●
ああ……なんてステキな顔立ちだろう……!
見てるだけでたまらなくなりそうだ!
●ブリュンヒルデ●
あそこに、私の防具が転がってる……
もう今の私には、身を守るための鎧も兜も、盾もない!
無抵抗な、ただの哀れな女になってしまった!
●ジークフリート●
ブリュンヒルデ、おれはもう我慢できない!
あなたを抱きしめたい!
●ブリュンヒルデ●
(素早く身を引きながら)
神々でさえ、気安く私のからだに触れてはこなかった!
英雄たちも、私の前では顔を上げることもできなかった!
それほど気高かった私が、ただの女になってしまうの?
頭が混乱してきた!
神々の一族の知恵まで、私からは奪われてしまったの?
私はどうすればいい?
●ジークフリート●
落ち着いて!
気持ちを静めて、目の前を見てよ!
ほら、世界はこんなに明るい!
●ブリュンヒルデ●
ああ、ジークフリート、私のこの不安をわかってくれたら……!
(次第に落ち着き、表情に優しさが戻る)
ああ、ジークフリート、
遠い遠い昔から、私はあなたへの愛を育んできたの。
あなたはすばらしい英雄、この世の宝なの。
お願いだから、私を無理やり奪ったりしないで。
いつまでもその優しい笑顔を絶やさずにいてくれれば、
あなたは陽気な英雄でいられるわ!
自分を大切にして、私のことなんかには構わないで……
●ジークフリート●
ブリュンヒルデ、おれはもう自分を抑えられない!
頼む、おれのものになってくれ!
あなたを見ていると、おれはもうなんというか、
心臓が暴れまわってどうすることもできないんだ!
ブリュンヒルデ、そんなに深刻にならないで、
笑って生きようよ、二人で!
おれのものになってくれよ!
●ブリュンヒルデ●
ジークフリート、私はね、……
もうずっと前から、あなたのものよ!
●ジークフリート●
「ずっと前から」なんて、どうでもいい!
いま、おれのものになってくれ!
●ブリュンヒルデ●
ジークフリート、私はね、
これからずっと、あなたのものよ!
●ジークフリート●
「これからずっと」もどうでもいい!
ブリュンヒルデ、「いま」なんだよ、「いま」!
いま、あなたはおれのものなのか?
●ブリュンヒルデ●
いま、ですって?
ジークフリート、わからないの?
私のこの視線の熱さ、
私のこの燃えたぎる血潮!
どう、あなた、怖くない?
私の姿に、あなたビビってない?
(ジークフリートを強く抱きしめる)
●ジークフリート●
怖いだって?
おれにはものすごい勇気が戻ってきたぞ!
でも、習ったばかりの「恐れ」はどっかへ行っちまった!
せっかくあなたが教えてくれたのに、もう忘れちまったよ!
オレってバカだよな!
●ブリュンヒルデ●
(楽しげに大笑いする)
なんて無邪気な、かわいい人でしょう!
私、あなたを笑いながら愛するわ!
あなたは、自分では何も知らないままに、
この世界を救う行為をやり遂げる人なのよ。
神々の世界なんか、もうどうなってもいい!
ノルンたちよ、綱を断ち切れ!
神々の黄昏よ、いまこそ幕を開けよ!
私を照らすのは、ジークフリートの輝きだけ!
ジークフリート、いつまでも一緒よ。
あなたは私だけの、たったひとつの宝物!
光の中であなたを愛し、笑いながら死にましょう!
●ジークフリート●
おれの前で、ブリュンヒルデが微笑んでいる!
星にも、太陽にも、大地にも、おれは心からありがとうをいうよ!
ありがとう、ブリュンヒルデのいるこの世界よ!
ブリュンヒルデ、いつまでも一緒だ!
あなたはおれの、たったひとつの宝物!
光の中であなたを愛し、笑いながら死のう!
(ジークフリートとブリュンヒルデ、激しく抱擁を交わす。幕)