◇ニーベルングの指環・第3夜◇

神々の黄昏(Götterdämmerung)

◇あそびのリブレット◇

●ジークフリート●
ブリュンヒルデ!気高い花嫁よ!
さあ、目を覚ましてくれ!
誰がおまえを深い眠りの中に閉じ込めたんだ?
おまえの目を覚ます男が、ここにいる!
熱い口づけで、おまえを目覚めさせると、おまえは美しく微笑んだ!
その微笑みは、おれの心を喜びで満たす!
ああ、輝かしいその瞳、涼やかな風のようなその息吹き!
ブリュンヒルデが手を振っている……このおれに……

(ジークフリート、倒れてそのまま息絶える。辺りは次第に暗くなる。グンターの指図で、家臣たちがジークフリートの亡骸を、ゆっくりと運んで行く。ジークフリートのための葬送行進曲が荘厳に響く中、舞台上は深い霧に覆われ、何も見えなくなる。やがて霧が晴れると、ギービヒ家の広間が現れる)

(夜。グートルーネが現れ、不安気に戸外の音に耳を澄ます)

●グートルーネ●
ジークフリートの角笛かしら?
……いえ、違うわ!
あの人はまだ帰らない。
恐ろしい夢でとても眠れないわ!
あの人の馬が嘶き、ブリュンヒルデの笑い声が私の眠りを覚ました。
誰か、女の人がラインの岸辺へ歩いて行ったと思ったけれど……
あれは、誰だったのかしら?
もしかして、ブリュンヒルデが?

(グートルーネ、ブリュンヒルデの部屋の扉の前に立ち、小声で呼びかける)

●グートルーネ●
ブリュンヒルデ、起きていますか?
(扉を開けて、中を覗き込む)
誰もいない……
では、やはりあの人が、ラインの岸辺へ歩いて行ったのかしら?
ああ、ジークフリート!
早く帰ってきて!

(遠くからハーゲンの声が聞こえる。ぎょっとして立ち止まるグートルーネ)

●ハーゲン●
ホイホー、ホイホー!
みな、起きろ!目を覚ませ!
明りを灯せ、獲物を運んできたぞ!
ホイホー、ホイホー!

(城内に明かりが灯る。ハーゲン、大広間に入って来る)

●ハーゲン●
グートルーネ!
おまえの夫を出迎えろ!
勇者殿のご帰還だぞ!

●グートルーネ●
ハーゲン、なぜあの方の角笛が聞こえないの?

●ハーゲン●
おまえの夫はもはや角笛も吹かないし、狩りに出かけもしない。
戦いにも出向かず、女どもと戯れることもない!

(グンターと家臣たち、ジークフリートの亡骸を運び込む)

●グートルーネ●
あれは、いったい、何?

●ハーゲン●
ジークフリート、おまえの夫は、野生の猪の餌食になったのだ!

(グートルーネ、悲痛な叫びとともに、ジークフリートの亡骸にすがりついて失神する。グンターが駆けつける)

●グンター●
グートルーネ、妹よ!
目を開けてくれ、何かいってくれ!

●グートルーネ●
ジークフリートが殺された!
お兄様、あなたね、この人を殺したのは!
助けて!誰か、誰か!
あなたが、あなたたちが、ジークフリートを殺したんだわ!

●グンター●
わしを責めないでくれ!
ハーゲンこそが、呪われた猪なのだ!
やつが、気高い英雄を食いちぎったのだ!

●ハーゲン●
私に罪があるとでも?

●グンター●
おまえなど、地獄に落ちるがいい!

●ハーゲン●
なるほど、たしかに私が殺した!
このハーゲンが、ジークフリートを倒したのだ!
私の槍は、あの男の偽りの誓いを裁いたのだ!
そこで、神聖な槍にかけて、この私は要求する!
戦利品として、この指環をわがものにすることを!

●グンター●
待て!それに手を触れてはならぬ!
指環はおまえのものではない!

●ハーゲン●
みなの者!私の権利を認めてもらいたい!

●グンター●
指環はジークフリートの遺産、すなわちグートルーネのものだ!
身の程知らずの矮人の息子め!
薄汚い手を引っ込めるがいい!

●ハーゲン●
(剣を抜く)
アルベリヒの息子の私にこそ、正当な権利があるのだ!

(ハーゲン、グンターに斬りつける。グンターも剣を抜くが、たちまちハーゲンのひと突きに倒れる)

●ハーゲン●
さあ、指環をよこしてもらおう!

(ハーゲンが指環を抜き取ろうとすると、死んだジークフリートの腕が拒絶するように高く上がる。周りの人々は恐怖の叫びを上げ、さすがのハーゲンも後ずさりする。そこにブリュンヒルデが現れ、厳かに前に進み出る)

●ブリュンヒルデ●
静かになさい!
あなたたちに裏切られた女が、復讐のために戻ったのだから。
ここでは、情けないめそめそした泣き声しか聞こえない。
高貴な英雄を悼むにふさわしい嘆きの声は、
どこからも聞こえない!

●グートルーネ●
あなたのせいだわ!
あなたが男たちをそそのかして、あの方を……!
あなたなど、この家に来なければよかったのよ!

●ブリュンヒルデ●
お黙りなさい、愚かな女よ!
あなたは、あの人の妻などではなかった。
ジークフリートの真の妻は、この私だったのよ!
あの人は、私に永遠の愛を誓ったの、あなたと出会うはるか以前に。

●グートルーネ●
……!
ハーゲン、呪われるがいい!
やっといま、わかったわ!
あの方に薬を飲ませるように仕組んだのは、
ブリュンヒルデのことを忘れさせるためだったのね!
あの方がほんとうに愛していたのは、ブリュンヒルデただひとりだったのね!

(グートルーネ、恥辱と悔恨に打ちのめされ、頭を抱えて蹲る)

●ブリュンヒルデ●
ジークフリートの死に顔をじっと見つめる。やがて顔を上げ、家臣たちに命じる
太い薪を積み上げなさい、ラインのほとりに、高く、高く!
勇者の気高い肉体を燃やし尽くすために!
私の愛馬をここに連れてきなさい。
グラーネも、私とともにあの方の後を追うのだから!
炎の中で、あの方とひとつになることが私の望み。
さあ、ブリュンヒルデの願いを叶えてください!

(家臣たち、ラインの岸辺に巨大な薪の山を築き始める。女たちは祭壇のように積み重ねられていく薪の山に、野の花を撒き散らす)

●ブリュンヒルデ●
(ジークフリートの顔を見つめ続けている。その表情は、それまでの悲哀から、神々しい平穏へと次第に変わってゆく)
陽の光のように清らかだったこの人!
限りなく美しい心をもちながら、私を裏切った人!
妻を欺きながら、友にはどこまでも誠実だった人!
友のために、妻である私との間を、剣で隔てた人!
この人ほど、誠実に誓いを立て、それを守った人はいない!
なのに、この人は、すべての誓いを破り、
私との真の愛を裏切った!
どうして、なぜ、こうなってしまったのか?

天上の神々よ、燃え上がる私の悲しみの炎を目にして、
あなたがたの犯した未来永劫にわたる罪を心に刻みなさい!
神々の高貴な長、私のお父さま、ヴォータン!
ジークフリートのしたことは、あなたの計画通りだったように見えたけれど、
実はあの人を、あなたと同じ呪いに陥らせるだけだった!
あの気高く、純粋な人は、私を裏切らなければならなかった、
愚かだった私を、真の知恵をもった一人の女として覚醒させるために!
今の私には、お父さま、あなたのために私のなすべきことが、
はっきりわかっています!
あなたが待ち望んでいた知らせを、2羽のカラスに託して送り届けましょう。
だからもう、おやすみなさい、お父さま……神々の役割は、もはや終わったのです!

(ブリュンヒルデ、ジークフリートの遺体の指から、指環を抜き取る。家臣たち、ブリュンヒルデの指示に従い、ジークフリートの亡骸を積み上げられた薪の上に運ぶ)

●ブリュンヒルデ●
(指環を見つめながら)
これは、ジークフリートの遺産……
呪われた指環!
私はこれを手に入れ、すぐに手放すことになる。
ラインの乙女たち、あなたがたの忠告に感謝します。
これはあなたがたに返すから、私の灰の中から受け取ってください!
私を焼き尽くす炎が、指環の呪いを浄化するでしょう。
乙女たちよ、指環をもとの黄金に戻して、河底で見守ってください!

(ブリュンヒルデ、指環をはめると、家臣の一人から松明を奪い、天に向かって振りかざす)

●ブリュンヒルデ●
帰るがいい、カラスたちよ、おまえたちを遣わした方のもとへ!
ここで見たことを、すべてヴォータンに知らせなさい!
ブリュンヒルデの岩山を通るとき、あそこで燃えているローゲに、
ヴァルハラへその手を伸ばすように命じなさい!
今こそ、神々の黄昏の時。
私自身が、ヴァルハラの城塞に火をつけるのよ!

(ブリュンヒルデ、松明を薪の山に投げ入れる。激しい炎が立ち上がり、2羽のカラスが飛び去るのが見える。グラーネが引かれてくる。ブリュンヒルデは駆け寄ってグラーネの馬具を外し、馬の顔を愛撫する)

●ブリュンヒルデ●
ああ、懐かしい私のお友達!
おまえはもう知っているの、これから私たちがどこへ行くかを?
ごらんなさい、燃え上がる炎の中に、あの人が横たわっているわ!
ジークフリート、私の大切な人!
あの人に会えるのが嬉しいのね、そんなに嘶いて。
早く行きたいと、おねだりしているのね?
ああ、炎が私を誘う。
私のこの胸のときめきが、おまえにも伝わるかしら?
真っ赤な炎が、私の心を捉えて離さない!
抱きしめたいの、あの人を!
そして、私も、抱きしめられたい!
愛の炎に焼き尽くされて、あの人と、ひとつになりたいの!
(グラーネに身軽に飛び乗る)
ハイァヨーホー!
グラーネ、あの人に挨拶を!
ジークフリート!ジークフリート!私を見て!
幸せに満ち溢れて、あなたの妻が手を振っているのよ、ジークフリート!

(ブリュンヒルデの合図で、グラーネは火の中に飛び込む。人と馬は炎に包まれて姿を消す。炎はさらに激しく燃え上がり、その炎は天上にまで達する。人々は逃げ惑う)

(突然ライン河の水面が盛り上がり、津波となって押し寄せる。波に乗って、3人のラインの乙女たちが泳いでくる。それを見たハーゲンは、激しい勢いで波の中に身を投げ入れる)

●ハーゲン●
指環に手を出すな!

(ヴォークリンデとヴェルグンデがハーゲンの首に絡みつき、水中に引きずり込む。フロースヒルデは指環を手に入れ、歓声を上げてそれを高くかざす。洪水は収まり、遠いラインの水面で、3人の乙女たちが楽しげに泳いでいるのが見える)

(焼け落ちた大広間で、生き残った人々が天を見上げている。赤く染まった天上には、はるかにヴァルハラの光景が映し出される。神々と勇士たちの集うヴァルハラの広間にも猛火が襲いかかり、やがてすべては炎に呑まれて消えていく。幕)

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇テキスト:Jun-T