◇ニーベルングの指環・第3夜◇

神々の黄昏(Götterdämmerung)

◇あそびのリブレット◇


■登場人物■
  ジークフリート(ヴェルズング族。ジークムントとジークリンデの息子でヴォータンの孫)
  ブリュンヒルデ(元ワルキューレのリーダーで現在はジークフリートの妻)
  ハーゲン(ギービヒ家の次男。グンターの腹違いの弟で、父親はアルベリヒ)
  グンター(ギービヒ家の長男で当主)
  グートルーネ(グンター、ハーゲンの妹)
  3人のラインの乙女たち(ヴォークリンデ・ヴェルグンデ・フロースヒルデ)

■第3幕■
ラインの河岸。森と岩に覆われた渓谷。ラインの河底から3人のラインの乙女たちが泳ぎながら浮かび上がってくる

●ラインの乙女たち●
陽の光は輝いているけれど、河の底は深い闇。
あの頃、あんなに明るかったラインの深みは、今は光のない世界に。
ああ、あの眩い光、ラインの黄金の輝きよ!

(遠くでジークフリートの角笛が響く)

●ラインの乙女たち●
あれは、勇者の角笛!
あの英雄が、私たちに黄金を返してくれるのね!
あの黄金さえ戻ってくれば、もう陽の光を羨むこともない!
ああ、輝かしいラインの黄金よ!

(角笛の響きが近づく)

●ヴォークリンデ●
ほら、角笛が!

●ヴェルグンデ●
そこまで来てるわ!

●フロースヒルデ●
さあみんな、うまくやるのよ!

ラインの乙女たち、水の中に身をひそめる。ジークフリート登場)

●ジークフリート●
くそ、見失っちまった!
おれの獲物は、どこに隠れてるんだ?

(ラインの乙女たち、水面に浮かび上がり、輪になって泳ぎながら話しかける)

●ラインの乙女たち●
ジークフリート!
どうしたの、なにをイラついてるの?
ねえ、なにがあったのか、私たちに話してよ!

●ジークフリート●
もしかして、おまえたちがおれの獲物を誘惑したのかい?
もしあんなのでよければ、獲物はおまえたちに譲ってやるよ!

●ラインの乙女たち●
ねえ、ジークフリート!
もし獲物を返してあげたら、私たちになにかくれる?

●ジークフリート●
今日はついてなくて、まだ一匹の獲物もない。
なにが欲しいかいってみてくれ。

●ラインの乙女たち●
じゃあ、その指環!
あなたの指に光ってるその指環を、私たちにちょうだい!

●ジークフリート●
これか?
この指環は、大蛇から命がけで手に入れたんだぞ。
つまらない獲物とこれを交換しろっていうのか?

●ラインの乙女たち●
なによ、英雄のくせに、ずいぶんケチじゃない?
女性にはもっと気前よくしなくちゃ。

●ジークフリート●
いやしかし、これをおまえたちにやっちまうと、グートルーネが怒るだろうしなぁ……

●ラインの乙女たち●
そんなに奥さんが怖いの?
きっと、奥さんにぶたれちゃうんだわ!
ビビっちゃって、それでも勇者なのかしら?

(ラインの乙女たち、泳ぎながら大笑いする)

●ジークフリート●
好きなだけ笑うがいい!
どんなに欲しがったって、これをおまえたちにやるものか!

●ラインの乙女たち●
イケメンなのに……
ガタイもいいのに……
だれもが羨むいい男なのに……
ああ残念!こんなにドケチだとは!

(ラインの乙女たち、笑いながら水面下に潜る)

●ジークフリート●
ドケチだと?
ジークフリートともあろう者が、ここまでコケにされていいのか?
よし、決めたぞ!
この指環は、あの娘たちにくれてやろう。
(ライン河の水面に向かって叫ぶ)
おい、女ども!出てこい!
そんなに欲しけりゃ、指環はおまえたちにやるよ!

(ラインの乙女たち、水面から姿を現す)

●ラインの乙女たち●
その指環は、あなたが持っているといいわ。
恐ろしい呪いに、あなたが気づくまで。

●ジークフリート●
呪いだと?どういう意味だ?

●ラインの乙女たち●
ジークフリート!
恐ろしい災いが、あなたの身に迫っているのよ!
その指環が、あなたに災いをもたらす。
それは、指環がラインの黄金で作られたからなのよ。
愛を捨てて指環を作り、屈辱とともにそれを手放した男。
その男が、指環にかけた呪い。それは……
指環の持ち主には、必ず破滅と死が襲いかかるということ!
かつて、指環を守っていた大蛇があなたに殺されたように……
あなたもまた、指環のために破滅する!
もしあなたが指環を私たちに返し、ラインの水で呪いを浄めないなら、
あなたは死ななければならない、しかも今日という日に!

●ジークフリート●
くだらない!
おべっかに乗るおれじゃないが、脅しにはもっと屈しないぞ!

●ラインの乙女たち●
ジークフリート、ジークフリート!
脅しじゃないのよ、みんな本当のこと!
今ならまだ間に合う、災いを逃れなさい!

●ジークフリート●
おれの剣は、炎の山を見張っていたジジイの槍も砕いたんだ。
おまえたちのいう呪いとやらも断ち切ってやるさ!
昔、大蛇が似たような警告をしたことがあったが、
あいつもおれに「恐れ」を教えることはできなかった。
この指環がおれを世界の支配者にしてくれるとしても、
愛のためなら、こんな指環、いつでも捨ててやるよ。
だが、おまえたちのように脅しをかけるなら、
たとえこの指環がなんの値打ちもないおもちゃだとしても、
おまえたちには絶対にやらないよ!

●ラインの乙女たち●
みんな、もう行きましょう!
ここまで馬鹿だったとは!
この人は、自分を英雄と思い込んでいるけれど、ただの筋肉バカ!
誓いも守らず、知恵も使わず、そのくせ、自分を破滅させる指環だけは、
後生大事に手放そうとしない!
ジークフリート、さようなら!
誇り高い女性が、意地悪なあなたから、
今日のうちにもその指環を受け継ぐことでしょう!
その人なら、きっと私たちの話にも、もっと親身に耳を傾けてくれるはずだわ。
さあみんな、行きましょう、その人のところへ!

(ラインの乙女たち、泳ぎながら去っていく)

●ジークフリート●
まったく女どもときたら、どの世界でもやることは同じだ!
おだててダメなら、脅しにかかる!
それでも聞かなければ、今度はガミガミ小言をいう!
……まぁ、グートルーネがおれのものでなかったら、
あの中のひとりと遊んでやってもよかったけどな。

(遠くでハーゲンの角笛が聞こえる)

●ハーゲン●
ホイホー!

(ジークフリート、自分の角笛で応える)

●家臣たちの声●
ホイホー!ホイホー!

●ジークフリート●
ホイホー!ホイへー!

(丘の上にハーゲンと家臣たちが現れる)

●ハーゲン●
ようやく見つけましたぞ、ジークフリート殿!
いったい、どこを駆け回っていたのです?

●ジークフリート●
やあ、ハーゲン!
こっちへ来いよ、ここは涼しくて気持ちがいいから!

(ハーゲン、グンターや家臣たちとともに丘を下りて来る)

●ハーゲン●
ここでひと休みして、酒宴といこう!
者ども、獲物を積み上げろ!酒の袋を持って来い!

(家臣たち、獲物と酒袋を並べる。酒盃が配られ、一同その場でくつろぐ)

●ハーゲン●
さて、聞こうではないか、われらが勇者の武勇談を!
ジークフリート殿、貴殿はいかなる獲物を仕留められたのか?

●ジークフリート●
いやはや、面目ない話だが、おれには食い物がない。
みなの獲物を分けてもらうしかなさそうだ。

●ハーゲン●
なんと!
獲物はないと申されるか?

●ジークフリート●
森の獲物を狩りに来たつもりが、現れたのは、水の精だけだった。
しかもそいつらは、河の上でこんなことを歌ったのさ、
ジークフリートは殺される、しかも今日のうちに!

●ハーゲン●
それはまた、気の滅入る狩りでしたな。

●ジークフリート●
酒をくれ、喉が乾いた!

(ハーゲン、杯に酒を満たし、ジークフリートに渡す)

●ハーゲン●
ジークフリート殿、あなたは小鳥の歌の意味がわかるということだが、
それはまことのことなのか?

●ジークフリート●
それはずいぶん昔の話だ。
小鳥の歌なんて、もう長いこと聞くのを忘れていたよ!

ジークフリート、暗い顔で黙り込んでいるグンターに、自分の盃を差し出す)

●ジークフリート●
さあ、空けてください、グンター!
あなたの弟の盃です!

●グンター●
この杯の酒は、いやな色をしている……
これは、おまえの血ではないのか?

●ジークフリート●
それなら、あなたの酒と混ぜましょう!
おっと、溢れてこぼれちまった!
これは、母なる大地への捧げものにしよう!

●グンター●
なんと陽気な男か……

●ジークフリート●
(小声でハーゲンに)
グンターはブリュンヒルデのことを気にしているのか?

●ハーゲン●
(小声でジークフリートに)
あなたが小鳥の声を理解できるように、
グンターも、ブリュンヒルデのことがわかればいいのだが!

●ジークフリート●
小鳥の声のことはすっかり忘れてたよ、
女性の声を聞いてからはね。

●ハーゲン●
しかし、昔は聞き取れたわけでしょう?

(ジークフリート、陽気な様子でグンターに向き直る)

●ジークフリート●
グンター、元気を出してください!
気晴らしに、おれがひとつ、若い頃の冒険談でも聞かせましょうか?

●グンター●
(相変わらず暗い声で)
ぜひとも聞かせてもらいたいものだ……

(家臣たち、興味深そうにジークフリートのそばに集まり、それぞれくつろいで座る)

●ハーゲン●
さあ、話してください、勇者よ!

●ジークフリート●
ミーメという名のいまいましい矮人が、腹黒い欲のためにおれを育てた。
おれが成長したら、森の洞窟で宝を守っている大蛇のファフナーを殺させ、
宝を独り占めにしようと目論んでいたわけだ。
ミーメは、おれに鍛冶屋の仕事を教え込んだが、
世界最高の鍛冶屋と自慢しているあいつにも、
砕けた剣の破片を接いで最強の剣を生み出すことはできなかった。
なぜなら、それを鍛え直すには、恐れを知らない勇気が必要だったからだ!
おれは剣の破片を粉々にすりつぶして、一度完全に熔かしてから、
新しい剣を鍛え直したんだ。
父から受け継いだノートゥングは、最強の剣として生まれ変わった!
そこでミーメはおれを森の中に連れて行き、
やつの思惑通り、ノートゥングが大蛇の心臓を貫いたわけだ。

ところでみんな、ここからが不思議な話になるんだ。
よく聞いてくれ。

大蛇を倒した時、指に返り血を浴びたんだが、これがとても熱かった。
そこで思わず指を口に入れると、たちまち小鳥たちの歌声が、
はっきりと意味がわかるように聞こえてきた!
枝にとまった小鳥は、こんなふうに歌ったんだ……

ニーベルングの宝は、ジークフリートのもの!
隠れ兜は役に立つし、指環を手に入れたら、世界を支配できる!

●ハーゲン●
なるほど、それで指環と隠れ兜を手に入れたわけですな!

●家臣たち●
小鳥は、もっと歌いましたか?

●ジークフリート●
宝を手に入れて戻ってみると、小鳥のさえずりが聞こえた。
こんなふうに……

隠れ兜も指環もジークフリートのものになって、よかったな!
でも、ミーメには気をつけなければ!
あのずる賢い男は、宝を横取りしようと、
ジークフリートの命を狙ってる!
ミーメのいうことを信じなければいいんだけど!

●ハーゲン●
小鳥の歌は正しかったのですか?

●家臣たち●
ミーメを返り討ちにしたんですね?

●ジークフリート●
おれに毒を飲ませようとしたが、よっぽど焦っていたらしく、
悪巧みをすっかり白状してしまった!
そこで、ノートゥングで瞬殺だ。

●ハーゲン●
わははは、剣の鍛え方は知らなかったミーメだが、
切れ味だけは充分に味わったというわけだ!

●家臣たち●
小鳥はそのあと、なにを歌いましたか?

(ハーゲン、新しい盃に酒を満たし、薬草の汁を落としてジークフリートに渡す)

●ハーゲン●
ジークフリート殿、まずはこれで喉を潤していただきたい。
貴殿が昔をはっきりと思い出せるよう、頭の冴える薬を混ぜた酒だ。
それを飲めば、なんでもはっきりと思い出せますぞ!

(ジークフリート、盃をゆっくりと干す。脳裏に自分の過去が次第にくっきりと浮かんでくる様子)

●ジークフリート●
耳を澄ますと、小鳥が歌っていた……

やった、ジークフリートは、悪賢い矮人をやっつけた!
ジークフリートにぴったりの女の人がいるんだけどなぁ。
その人は岩山の上で眠っていて、炎が周りを守ってる。
もし、荒々しい炎を乗り越えて、その人の目を覚ますことができたら、
ブリュンヒルデは、ジークフリートのものになるんだが!

●ハーゲン●
貴殿はその言葉に従ったのですか?

●ジークフリート●
それを聞くと、おれはすぐに旅立った!

やがて、炎の取り巻く岩山にたどり着いた。
そして、激しく燃え上がる炎の壁を乗り越えた!
その報酬は……
輝かしい武具に身を固めて、美しい女性が眠っていたんだ、そこに!
おれはその人の兜を脱がせ、目覚めさせた、熱いキスで!
思い出すだけで身震いしそうだ!
おれに抱きついてきた、美しいブリュンヒルデの、あの白い腕を!

●グンター●
何をいい出すのだ!

(突然、茂みから2羽のカラスが飛び上がり、ライン河の方へ向かって去る)

●ハーゲン●
あのカラスどもの鳴き声も、聞き取ることができるのか?

(ジークフリート、思わず立ち上がり、カラスの去った方角を目で追う。無防備な背中が、ハーゲンの前にさらされる)

●ハーゲン●
あれは私への呼びかけだ、復讐せよ、と!

(ハーゲン、ジークフリートの背中に槍を深々と突き立てる。ジークフリートは向き直ってハーゲンを叩き潰そうとするが、力及ばず、その場に崩折れる)

●家臣たち●
ハーゲン殿、なにをなされる!
いったい、なんということを……!

●グンター●
ハーゲン、なんということを……!

●ハーゲン●
偽りの誓いに、罰を下したまでだ!

(ハーゲン、倒れているジークフリートを冷然と見下ろすと、ゆっくりと退場。グンター、呆然としてジークフリートの傍らにうずくまる。家臣たち、ジークフリートの周囲に集まる)

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇テキスト:Jun-T