◇ニーベルングの指環・第3夜◇

神々の黄昏(Götterdämmerung)

◇あそびのリブレット◇

(ブリュンヒルデとグンター、接岸した舟から降りる。整列した男たちの間を、ブリュンヒルデの手を取ったグンターがゆったりと進む)

●グンター●
みなの者、よく集まってくれた。
わしはいま、気高い妻ブリュンヒルデを連れ帰った。
これほどの女性を、おまえたちは見たこともあるまい。
このような女性がわしのものとなったのも、神々のご加護であろう。
祝ってくれ、みなの者!ギービヒ家の名が栄るように!

●男たち●
万歳、万歳、ギービヒの殿!

(女たちに付き添われ、ジークフリートとグートルーネが広間から現れる)

●グンター●
おお、勇者よ!親愛なる妹よ!
グートルーネ、そのような気高い勇者がおまえの傍らに立つのを見るのは、
なんと心地よいことか!
この場には、この世で最も幸せな夫婦がふた組もいるのだからな!
ブリュンヒルデとグンター、グートルーネとジークフリート!

(ジークフリートの名を聞き、ブリュンヒルデは驚愕して目を上げる。凍りついたように立ち止まるブリュンヒルデ。その様子に思わず彼女から手を離してしまうグンター)

●男たち●
どうしたのだ、奥方様は?
様子がおかしいぞ!

●ジークフリート●
どうしたのです、ブリュンヒルデ?
なにか不都合でもありましたか?

●ブリュンヒルデ●
どうして?
なぜ、あなたが、ここに?
グートルーネですって?

●ジークフリート●
ああ、グートルーネはグンターの妹で、おれの妻となる人ですよ。
あなたとグンターのようにね!

●ブリュンヒルデ●
私と、グンターですって……?
嘘、嘘!
どうして……?
ジークフリート、私がわからないの?

●ジークフリート●
グンター!
奥方はどうも具合が悪いようだ!

(我に返ったグンター、ブリュンヒルデに近づく)

●ハーゲン●
みなの者、よく聞いておくのだ、
ブリュンヒルデ殿の申されることを!

●ブリュンヒルデ●
ジークフリート、あなたの指環……
それを私から奪ったのは……
あなたではなく、この人のはず!
(グンターを指差す)
どうしてそれを、あなたが持っているの?
いつ、この人からもらったの?

●ジークフリート●
この指環は……
グンターにもらった物ではない……

●ブリュンヒルデ●
(グンターに向かって)
指環をあなたが奪ったから、私はあなたに従ったのです!
いますぐ指環を取り戻してください!
あれは、あなたとの婚姻の証しなのです!

●グンター●
指環だって?
わしはジークフリートに指環を贈った覚えはない……
ブリュンヒルデ、あなたは本当に、あの指環を知っているのか?

●ブリュンヒルデ●
なにをたわけたことを!
私から指環を奪ったのは、あなたじゃないの!
あの指環が別物だというなら、私から奪った指環はどこにあるのです?

(グンター、途方にくれる。怒りに全身を震わせるブリュンヒルデ)

●ブリュンヒルデ●
では……私の指環を奪ったのは、この人だったのね!
恥知らずの盗っ人、ジークフリート!

●ジークフリート●
なにをいう!
この指環は、女から奪ったものではない!
これは……そうだ、「欲望の洞窟」の前で大蛇と戦い、
そいつを倒して手に入れた物だ!

●ハーゲン●
勇気のある女性ですな、ブリュンヒルデ殿!
もしこの指環をあなたがグンターに渡したのなら、これはグンターの物だ。
しかし、ジークフリート殿が奸計で手に入れたのなら、
不誠実の罪を犯した者として、罰を受けねばならぬ!

●ブリュンヒルデ●
(ほとんど狂乱状態になって)
卑劣な裏切り!
卑怯者!
なんという破廉恥な裏切り者!

●グートルーネ●
裏切り者ですって……?

●ブリュンヒルデ●
天上の神々よ、これがあなた方の企んだ結果なの?
私の心を滅茶苦茶にして、絶望のどん底に落とそうというの?
私は神々に要求するわ、復讐を!
私の心と身体を弄んだ男を、八つ裂きにしてやる!

●グンター●
落ち着いてくれ、ブリュンヒルデよ!

●ブリュンヒルデ●
あなたは引っ込んでいなさい!
あなたは裏切り者、でも、そのあなたも裏切られたことがわからないの?
みな、よく聞きなさい!
私はグンターと結ばれたのではない、ジークフリートと結ばれたのよ!

●男たち・女たち●
ジークフリートはグートルーネの夫なのに?

●ブリュンヒルデ●
この男は私から、すべてを奪い取った!

●ジークフリート●
なぜそんなにご自分を傷つけようとなさるのですか?
なんという口汚いことを申されるのか!
みんな、聞いてほしい!
おれはグンターと、血盟を結んだのだ!
義兄弟の血の契りを、おれが破るはずがない!
この剣が、ノートゥングが、紛れもない証人だ!
この剣が、ブリュンヒルデとおれとの間を、断固として隔てていたのだ!

●ブリュンヒルデ●
この大嘘つき!
剣が証人ですって?そんなもの、何の弁護にもならない!
その剣は、刃を見せてはいなかった。鞘の中で眠っていたのよ、
ジークフリートが、私の身体を求めた時には!

●男たち・女たち●
信義に背いたのか、ジークフリートは?

●グンター●
ジークフリート、義弟よ、弁明してくれ!
でないと、このわしまで恥辱にまみれてしまう!

●グートルーネ●
ジークフリート、説明して!
あの女の口走っていることは、全部でたらめよね?

●ジークフリート●
おれは潔白だ!
いますぐ、潔白の誓いを立てるぞ!
だれか、誓いの証しとなる武器を差し出してくれないか?

●ハーゲン●
この私の槍の穂先を差し出そう!
これを誓いの証しにしていただこう!

ハーゲン、槍を差し出す。ジークフリート、槍の穂先に右手の指を置く

●ジークフリート●
神聖な武具よ、おまえの穂先に、おれは誓う!
この女のいうことが真実で、不義を犯しているなら、
槍の穂先よ、このおれを殺せ!

(ブリュンヒルデ、ジークフリートを押しのけ、槍の穂先に指をかざす)

●ブリュンヒルデ●
神聖な武具よ、おまえの穂先に私は誓う!
私は、あの男の誓いが偽りだと宣言する!
あいつは、不義を犯したのよ!

●ジークフリート●
グンター、奥方をどうにかできないか?
この人はわけのわからないことを口走って、われわれを侮辱している!
頭が混乱しているんじゃないか?
しばらくゆっくり休ませた方がいいな。
冷静になったら、こんな理不尽な怒りも収まるだろうから。
さあ、みんな、もうこんなゴタゴタに関わるのはよそう!
女性と争うのはどうも苦手だ。 尻尾を巻いて逃げたと思われたってかまわないさ!

(ジークフリート、グンターに近づき、小声で囁く)

●ジークフリート●
隠れ兜が半分しか効かなかったのかもしれない。
ブリュンヒルデをうまく騙せなかったようだ。
だけど、いまは興奮してあんなふうだが、そのうちにブリュンヒルデも
ここに連れてこられてよかったと思うようになるさ!
まあ、心配しないで気長に様子を見ていることだ。
(男たち・女たちに向かって)
さあみんな、気分を変えよう!
結婚式なんだから、楽しくやろうじゃないか!
どんな時でも陽気でいるのがいちばんさ!
さあ、元気いっぱいのこのおれを見習って、宴会に行こう!

(ジークフリート、グートルーネを抱きかかえるようにして、楽しげに大広間へ向かう。その勢いに呑まれて、集まった人々もジークフリートについて行く。あとにはブリュンヒルデ、グンター、ハーゲンの3人だけが残る)

●ブリュンヒルデ●
いったい、何が起きたの?
どんな邪悪なからくりが、私たちの上に働いているの?
わからない、ただの愚かな女になってしまった私には、何もわからない!
私はすべての魔力と知恵を、あの男のために使い果たしてしまった!
何もかも捧げ尽くした私を、あの男はまるで飽きたおもちゃのように投げ捨てた!
ああ、この恥辱を晴らしてくれる者はいないの?

●ハーゲン●
気を落とされるな、私が裏切り者に復讐して進ぜよう!

●ブリュンヒルデ●
誰に復讐するですって?

●ハーゲン●
あなたを裏切ったジークフリートに!

●ブリュンヒルデ●
ジークフリートに?あなたが?
は、ははは……冗談にもならない。
あの男に睨みつけられたら、たちまちあなたは身動きもできなくなってしまうわ!

●ハーゲン●
私の槍の穂先に、あの男は誓ったのです。
偽りの誓いを黙認せよと?

●ブリュンヒルデ●
もっと強い男にその槍を貸すことね、ジークフリートを倒そうというのなら!

●ハーゲン●
ジークフリートの強さなら、私もよく知っているつもりです。
だからあなたの知恵がほしいのだ、どうすればあの勇者を倒せるのか。

●ブリュンヒルデ●
あの男に、私はすべての魔力と技を注ぎ込んだ!
私はあの男を、無敵の身体にしてしまった!
いまのジークフリートには、傷ひとつつけることさえできないわ!

●ハーゲン●
どんな武器でもだめなのか?

●ブリュンヒルデ●
正面から戦ってジークフリートに勝てる者はいない。
ただ……

●ハーゲン●
ただ?

●ブリュンヒルデ●
ジークフリートは、どんな敵にも背を見せたことがない。
敵から逃げることがなかったから。
だから私は……あの男の背中には、魔力を使わなかった!

●ハーゲン●
そうだったのか……!

(ハーゲン、隅で落ち込んでいるグンターに歩み寄る)

●ハーゲン●
グンター、ウジウジしている場合ではないぞ!

●グンター●
わしはもうダメだ!
面目が丸つぶれになってしまった!
わしほど哀れな男があろうか?

●ハーゲン●
たしかにその通りだ。

●ブリュンヒルデ●
なんという情けない男!
ジークフリートの力を利用して、虚名を上げようなんて!
ギービヒの面汚しだわ、恥を知るがいい!

●グンター●
そうだ、わしは情けない裏切り者だ、だがわし自身も裏切られたのだ!
ハーゲン、弟よ!
ズタボロになったこのわしの名誉を、頼むから救ってくれ!

●ハーゲン●
セコく帳尻を合わせようとしても、とても救いにはならない!
兄者の名誉を救う方法はただひとつ、
ジークフリートの死あるのみ!

●グンター●
ジークフリートの死だと?

●ハーゲン●
兄者を救えるのは、それだけだ!

●グンター●
待ってくれ……!
わしはジークフリートと、義兄弟の盟約を誓ったぞ?

●ハーゲン●
それを、あの男は破ったのだ。
血で贖わせるしかあるまい?

●グンター●
ジークフリートは、誓いを破ったのか?

●ハーゲン●
兄者を裏切ったではないか!

●グンター●
わしを、裏切ったのか?

●ブリュンヒルデ●
裏切ったのよ、ジークフリートは!
そしておまえたちは、誰も彼も私を裏切った!
おまえたちの罪は、この世に正義がある限り、決して消えはしない!
でも、ただひとりの男の死で、すべてを贖うことができる。
ジークフリートは死ぬべきよ!
自分自身と、おまえたちすべての罪を償うために!

●ハーゲン●
(グンターに囁く)
ジークフリートが死ねば、兄者は巨大な権力の持ち主にもなれるぞ!
あの指環が兄者の物になるには、ジークフリートは死なねばならん!

●グンター●
ブリュンヒルデの指環のことか?

●ハーゲン●
あれこそ、ニーベルングの随一の財宝だ。

●グンター●
やむをえない……ジークフリートは死ぬべきなのだな。
しかし、グートルーネはどうする?
夫を処刑すれば、わしは妹に顔向けできなくなるぞ?

●ブリュンヒルデ●
グートルーネ!
私の夫を奪った女!
グートルーネは、愛する人を失う苦しみを味わうがいい!

●ハーゲン●
たしかに、グートルーネは悲しむだろう。
だから、彼女にはこのことは伏せておくのだ。
そしてわれらは明日、楽しい狩りに出かけるのだ。
ジークフリートは勇んで先頭を走るだろう。
そのとき、凶暴な猪が飛び出して、やつを牙にかけるという寸法だ。

●グンターとブリュンヒルデ●
ジークフリートに死を!
われらに対する罪を、死をもって償うのだ!
ジークフリートは神聖な誓いを破り、不義をはたらいた!
誓約の大いなる神、ヴォータンに願う!
われらの復讐の誓いを成就させられんことを!

●ハーゲン●
陽気な勇者よ、地獄に落ちろ!
この私が、宝を取り戻す!
そもそもあの宝は、われらの一族から強奪されたのだから!
夜の支配者、アルベリヒに願う!
ニーベルングの軍勢に、指環の主に従えと命じられんことを!

(大広間から、婚礼の行列が姿を現す。みなの祝福を受けて有頂天のジークフリートと幸福そうに微笑むグートルーネ。ハーゲンはグンターに、ブリュンヒルデの手を取らせる。婚礼の行列が賑々しく進む中、幕)

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇テキスト:Jun-T