◇ニーベルングの指環・第3夜◇

神々の黄昏(Götterdämmerung)

◇あそびのリブレット◇

(ブリュンヒルデの岩山。ブリュンヒルデが物思いに沈んでいると、稲妻が閃き、雷鳴が轟く。遠くから雷雲が近づいてくるのが見える)

●ブリュンヒルデ●
懐かしい音が遠くから響いてくるわ。
あれは、紛れもなくワルキューレの天馬。
この岩山へ、誰が私を探しに来たのかしら?

●ヴァルトラウテ●
(遠くから)
ブリュンヒルデ!そこにいるの?

●ブリュンヒルデ●
ヴァルトラウテの声だわ!
懐かしい私の妹、来てくれたのね?
お父さまに隠れて来たの?あとで叱られない?
さあ、こちらへ!
そこのモミの木に馬をつなぐといいわ、お茶でもどう?

(雷鳴が轟き、ヴァルトラウテが現れる。ヴァルトラウテの表情はこわばっている)

●ブリュンヒルデ●
私を訪ねてきたのね?
あなた、見かけによらず勇気があるのね!

●ヴァルトラウテ●
そう、姉さんに会うために、急いで来たの!

●ブリュンヒルデ●
私に会うために、お父さまの禁令を破ってくれたの?
それとも、まさか……
お父さまが、許してくださったのかしら?
だって私は、たしかにお父さまのいいつけには背いたけれど、
でも、私がジークムントに味方したのは、実は、
お父さまの望みを果たしたことだったのだから!
お父さまの怒りが和らいでいたことを、私は知っていたわ。
この岩山で私に罰を下した時でも、お父さまは私の願いを聞き入れてくださって、
炎で岩山を取り囲み、臆病者が近づけないようにしてくださったんですもの!
それに、それにね……
お父さまの罰によって、私は世界一の幸せ者になったの!
なぜって、この世で最もすばらしい人が、
私を妻に迎えてくれたんだから!
あの人の愛に包まれて、私は笑顔で輝いていられるのよ!

(ブリュンヒルデ、ヴァルトラウテを抱きしめようとするが、ヴァルトラウテは苛立たしげに身を離す)

●ブリュンヒルデ●
どうしたの?
私の喜びを分け合ってはくれないの?

●ヴァルトラウテ●
ブリュンヒルデ、愚かな姉さん!
わからないの、私の不安が?
姉さんの妄想に付き合うために、お父さまの禁令を破ったんじゃないわ!

●ブリュンヒルデ●
そんなに硬くなって、どうしたの?
お父さまは、まだ私を許してはくださらないのね?
あなたはお父さまの罰が怖くてふるえているの?

●ヴァルトラウテ●
お父さまの罰なんて、私の不安に比べれば全然なんでもないわ。

●ブリュンヒルデ●
あなたの言葉の意味が、まるっきりわからない!

●ヴァルトラウテ●
いい、よく聞いて!
これは恐ろしいことなのよ!

●ブリュンヒルデ●
いったい何が起きたの、不死の神々の一族に?

●ヴァルトラウテ●
姉さんに罰を与えてからというもの、お父さまが、
私たちワルキューレを戦場に送り出すことはなくなった……
お父さまは、ただお独りで天馬を駆り、
さすらい人としてこの世界をさまようだけ……
やっとヴァルハラにお戻りになったと思えば、
お父さまがお持ち帰りになったのは、
なんと、砕かれた槍のかけらだったの!
お父さまはヴァルハラの戦士たちに命じ、
世界樹を切り倒させ、それで膨大な薪を作らせた。
その薪を大広間の周りに積み上げさせると、
お父さまは神々の会議を招集なさった。
お父さまの玉座の前に神々が居並び、大広間を勇士たちが警護した。
神々は不安に駆られてヴォータンを見つめたけれど、
お父さまは一言も発せられず、神々は得体の知れない恐怖に捉えられた。
ただ一度だけ、
ヴォータンが地上に放っていた2羽のカラスがよい知らせを携えて戻った時、
その時だけ、お父さまは微笑まれたわ……
私が不安をこらえきれず、お父さまの膝にすがって泣いた時、
お父さまは呟かれた。
それは、姉さん、あなたのこと。
「ラインの乙女たちに、ブリュンヒルデが指環を返してくれれば、
 呪いは消滅し、神々もこの世界も救われるのだが……」
お父さまの言葉を聞くと、私はその場を抜け出し、
こっそり愛馬にまたがって、ここへ飛んできたのよ!
お願いだから、姉さん、いまあなたにできることをして!
お父さまの、神々の悩みをあなたの手で終わらせて!

●ブリュンヒルデ●
あなたはずいぶん長々と物語ってくれたけれど、
私は神々の絆を断ち切られてもう長いから、
あなたのいってることの意味が全然わからないわ。
もっとわかりやすく話してちょうだい、
あなたはいったい私にどうしてほしいの?

●ヴァルトラウテ●
姉さんのその指環……
それを、お父さまのために、捨ててほしいの!

●ブリュンヒルデ●
この指環を、捨てろですって?

●ヴァルトラウテ●
そう、ラインの乙女たちに返すのよ!

●ブリュンヒルデ●
あなた、頭は大丈夫?
これはあの人の……ジークフリートの、
私への愛の証なのよ?

●ヴァルトラウテ●
その指環には、この世のあらゆる災いが呪いとしてこめられているの!
それをラインに投げ捨てて、お願いだから!

●ブリュンヒルデ●
いいかげんにして!
この指環が私にとってどれほど大切なものか、
人を好きになったことのないあんたなんかに、わかるはずがないわね!
ヴァルハラがどうなろうと、私には関係ないわ。
これを見つめているだけで、指環の輝きの中から、
ジークフリートの愛が私に向かって溢れてくる!
この喜びに比べれば、天上の神々の生活なんて、屁みたいなものよ!
あんたにこのすばらしさを伝えたいけど、まあ無理ね。
さあ、もう雲の上にお帰りなさい。
神々の会議には、こう報告すればいいわ。
「ブリュンヒルデは愛を捨てません。
 誰もブリュンヒルデから愛を奪うことはできません。
 たとえ、ヴァルハラが廃墟になったとしても!」

●ヴァルトラウテ●
それが、姉さんの返事なの?
自分の血を分けた妹を、絶望の中に捨ててしまうの?

●ブリュンヒルデ●
さっさと家にお帰り!
あんたが私から指環を奪うなんて、できないんだから!

●ヴァルトラウテ●
ひどすぎるわ、姉さん!
ヴァルハラの神々は、もう終わってしまう!

(ヴァルトラウテ、泣きながら馬にまたがり、雷鳴とともに去る)

●ブリュンヒルデ●
行ってしまった!
もう二度と、私のところへは来ないで!

夕闇の中で、ブリュンヒルデの岩山を守る炎の輝きが次第に強くなってくる)

●ブリュンヒルデ●
炎の勢いが強まっている。
今夜はどうして、こんなに激しく炎が燃え上がるのかしら?

(ジークフリートの角笛の響きが聞こえてくる)

●ブリュンヒルデ●
ジークフリート!
あの人が戻ってきた!

(ブリュンヒルデ、喜びに溢れて、ジークフリートを出迎えるために走り出す。炎の中から、グンターに姿を変えたジークフリート登場。ブリュンヒルデ、驚いて立ちすくむ)

●ブリュンヒルデ●
誰?そこに入ってきたのは、何者なの?

(ジークフリート、じっと立ったまま、無言でブリュンヒルデを見つめる。やがて、作り声で話しかける)

●ジークフリート●
ブリュンヒルデ!
あなたを妻にしようと、ここまでやって来たのだ!
炎など、わしにはなんの障害にもならぬ!
さあ、わしの妻となるのだ。喜ぶがいい!

●ブリュンヒルデ●
いったいこの男は何者なの?
炎を乗り越えることができるのは、ジークフリートだけのはず……

●ジークフリート●
わしは、あなたを娶るためにやってきた勇者だ。
力ずくでも、あなたをわが妻とする!

●ブリュンヒルデ●
おまえは人間なの?
それとも魔物?

●ジークフリート●
わしの名はグンター、ギービヒ家の当主だ!
わしに従え、女よ!

●ブリュンヒルデ●
ああ、ヴォータン!
これこそが、私に与えられた罰なの?

●ジークフリート●
もう夜だ。
さあ、ここでわしと契りを交わすのだ。

●ブリュンヒルデ●
(指環をジークフリートに向けて突き出しながら)
この指環が見えないの?
おまえは私に手を出すことなんかできない!
この指環が、私を守っているのだから!

●ジークフリート●
それはもはやわしのもの。
それこそ、われらの契りの証となろう!

●ブリュンヒルデ●
下がれ、盗人め!
それ以上近づくと、ただでは済まないわよ!
この指環が、私を鉄の女にしているの!
おまえなんかに、これを奪うことなどできない!

●ジークフリート●
なるほど、それを奪ってみせればいいわけか?

(ジークフリート、ブリュンヒルデに襲いかかる。ブリュンヒルデ、必死に抵抗するが、ジークフリートの力には到底かなわず、ついに押さえつけられて指環を奪われる。その瞬間、ブリュンヒルデは大きな叫び声をあげ、力尽きて倒れる)

●ジークフリート●
これで、あなたはわしのものとなった。
ブリュンヒルデよ、あなたはもうグンターの妻だ!
さあ、寝室に入るがいい!

●ブリュンヒルデ●
ああ……どうすればいいの?

(ブリュンヒルデ、力なく寝室に入る。ジークフリート、剣を抜く)

●ジークフリート●
ノートゥングよ、おまえが証人だ!
このおれが、決して友を裏切らなかったということの!
義兄弟の誓いを果たすため、ノートゥングよ、おまえは
グンターの花嫁とおれとの間の、越えられぬ境界となれ!

(ジークフリート、ブリュンヒルデを追って寝室に入る。幕)

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇テキスト:Jun-T