チャイコフスキー/交響曲第2番 ハ短調 作品17
(Tchaikovsky : Symphony No.2 in C minor, Op.17)

Tchaikovsky チャイコフスキーの6つの交響曲のうち、第4以降の3曲はいわば個人主義的・主観的標題交響曲と申すべきもので、それゆえに同時代のロシアの楽壇では西欧派・折衷派としていわゆるロシア五人組に代表される国民楽派の対極と見なされておりました。
しかしながら、チャイコフスキーは最初から個人主義的な立場をとっていたわけではなく、初期においてはむしろ今日ロシア国民楽派とされる人々(とりわけボロディン、リムスキー=コルサコフ)に近い立ち位置で創作していたと申してよろしいのではないかと思われます。
それを如実に示しているのが第1、第2の2つの交響曲であり、とりわけ第2交響曲では民謡などのロシアの旋律が多用され、チャイコフスキーの交響曲の中ではもっともロシア国民楽派に接近した作風となっております。

第2交響曲が作曲されたのは1872年、チャイコフスキー32歳の年でございます。翌73年2月、ニコライ・ルビンシテインの指揮によるモスクワ初演は大成功を収め、好評を受けて4月、5月に続けて行われた演奏会も大いに成功しました。
サンクト・ペテルブルク音楽院を卒業し、モスクワ音楽院で教鞭を執るようになってからおよそ6年、いくつかの歌曲やピアノ曲で知られてはいたものの、一般にはいまだ知名度が高いとはいえなかったチャイコフスキーは、この交響曲の成功によって一躍新進作曲家の筆頭に躍り出たと申してよろしいでしょう。チャイコフスキーの創作力のポテンシャルもこの時期には高まっており、第2交響曲と相前後して弦楽四重奏曲第1番と第2番、幻想序曲「テンペスト」、「雪娘」の音楽、2つのオペラ「親衛隊」と「鍛冶屋のヴァクーラ」、ピアノ協奏曲第1番、第3交響曲、ピアノ曲集「四季」などが次々に生み出されます。

作曲から8年ほど経った1879年になって、かつての成功作だった第2交響曲に音楽上の不満をもったチャイコフスキーは、大がかりな修正を加えることにしました。この時期にはこの曲ばかりでなく、第1交響曲や第1ピアノ協奏曲、幻想序曲「ロミオとジュリエット」にも改訂が施されておりますが、第2交響曲の場合はそれらよりもはるかに徹底して修正され、とりわけ第1楽章の書き直しは、ほとんど別の曲のような様相を呈するに至っております。
チャイコフスキーは第1楽章の第1主題をまるっきり別のものに取り替え、初版では第1主題であった旋律を調性を改めて第2主題にしてしまいました。そのため、もともとの第2主題はその位置を奪われ、改訂版では構成動機の一部だけが生き残ることになりました。

[初版の第1主題]

[改訂版の第1主題]

[初版の第2主題]

[改訂版の第2主題]

また、第1楽章の主部は、初版では四分の四拍子、Allegro comodoであったものが、改訂版では二分の二拍子、Allegro vivoに変更され、以前と比べてきびきびした音楽になっております。
第2楽章以下の各楽章にもそれぞれ修正が施されましたが、小節数で見ますと、第1楽章が486小節→368小節、第4楽章が993小節→847小節と、とりわけ両端楽章の大幅な小節数削減により、演奏時間もチャイコフスキーの全交響曲中、最短の作品となりました。
チャイコフスキーはこの改訂で第2交響曲はよくなったと確信し、以後は改訂版で演奏することを希望しました。その結果、この交響曲は通常は改訂版で演奏され、それが広く受け容れられて現在に至っております。
ただし、初版の方が優れているという意見もあり、チャイコフスキーの同時代人である指揮者のナプラーヴニク、評論家のカシュキン、そしてチャイコフスキーの有能な弟子で作曲家のタネーエフらは、初版の方が音楽的にはるかに豊かで印象的であると考えておりましたが、それらは少数意見にとどまりました。

さて、この交響曲は「小ロシア」と称ばれることがございます。時代によって範囲は異なるようですが、19世紀には「小ロシア」とはウクライナの南部を除く地域を指し、この交響曲にウクライナ民謡に基づく3つの旋律が使われていることが「小ロシア」というニックネームの由来でございます。ただし、これはチャイコフスキー自身の命名ではなく、評論家のニコライ・カシュキンによるものでございます。
3つのウクライナ民謡とは「母なるヴォルガを下りて」「回れ私の糸車」「鶴」で、それぞれ第1楽章、第2楽章、第4楽章に用いられております。

[母なるヴォルガを下りて(第1楽章)]

[回れ私の糸車(第2楽章)]

[鶴(第4楽章)]

ここで取り上げておりますピアノ連弾版は、チャイコフスキー自身による1880年改訂版の編曲でございます。
ピアノで演奏された第2交響曲、お楽しみいただければ幸甚でございます。

(2016.1.21〜2.3)

交響曲第2番ハ短調 作品17(改訂版)・全曲連続再生 

第1楽章/アンダンテ・ソステヌート−アレグロ・ヴィーヴォ 
      (I. Andante sostenuto - Allegro vivo)
第2楽章/アンダンティーノ・マルチアーレ(II. Andantino marciale) 
第3楽章/スケルツォ:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(III. Scherzo : Allegro molto vivace) 
第4楽章/フィナーレ:モデラート・アッサイ ― アレグロ・ヴィヴァーチェ 
      (IV. Finale : Moderato assai - Allegro vivace) 

【初版について】
上記のように、第2交響曲には初版と改訂版の2つのスコアがございます。作曲当時のチャイコフスキーはこの作品を「私の作った曲の中で、形式の完成度では最高の作」とまで自賛しておりましたが、初演後には最初の3つの楽章に対する不満を漏らすようになり、1879年末から80年にかけて大改訂を施すわけでございます。
チャイコフスキーが特に問題と考えたのは第1楽章で、タネーエフに宛てた手紙では、改訂前のこの楽章について「なんとも難しく、騒々しく、支離滅裂で、混乱した音楽です」と酷評しております。
しかしながら、上に書きましたように、改訂版より初版の方が優れているとする少数意見もあるわけで、そうなると、そもそも初版はどういう曲だったのか?という好奇心が湧き上がってまいります。
そのようなわけで、ここでは第2交響曲の改訂版に加えて、初版の編曲もアップしてみることにいたしました。お聴きいただければおわかりいただけると存じますが、大改訂というより書き直したと申した方が適切な第1楽章は改訂版に比べてはるかに長大で、大きな削除を施される以前の終楽章と相まって、全曲の演奏時間も40分を軽く超える大型交響曲となっております。また、第3楽章ではトリオからスケルツォの再現までがまるごと繰り返され、全体としてスケルツォ ― トリオ ― スケルツォ ― トリオ ― スケルツォ ― コーダという構成になっているのも、チャイコフスキーの交響曲のスケルツォ楽章としては珍しいところです。

初版のピアノ用編曲は入手できませんでしたので、やむなくJun-Tが2台ピアノ用に編曲いたしました。
能のないアレンジで恐縮ではありますが、普段聴き慣れた改訂版との違和感を多少なりともお楽しみいただければ幸甚です。

(2016.2.15〜3.5)

交響曲第2番ハ短調 作品17(初版)・全曲連続再生 

第1楽章/アンダンテ・ソステヌート−アレグロ・コモード 
      (I. Andante sostenuto - Allegro comodo)
第2楽章/アンダンテ・マルツィアーレ、クアジ・モデラート 
      (II. Andante marziale, quasi moderato)
第3楽章/スケルツォ:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(III. Scherzo : Allegro molto vivace) 
第4楽章/フィナーレ:モデラート・アッサイ ― アレグロ・ヴィーヴォ 
      (IV. Finale : Moderato assai - Allegro vivo) 

◇「チャイコフスキー/交響曲全集」に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:P. I. チャイコフスキー ◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma