チャイコフスキー/交響曲第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」 (Tchaikovsky : Symphony No.1 in G minor, Op.13 "Winter Daydreams") | |
1866年、ペテルブルグ音楽院を卒業したばかりのチャイコフスキーは、その年の9月からモスクワ音楽院で新任講師として教鞭を執ることになりました。 音楽院の教壇に立つまでの待機期間は約半年、その間にチャイコフスキーは生涯最初の大作に取りかかります。それがこの第1交響曲でございました。 3月から6月までのおよそ3ヶ月、意欲に燃えたチャイコフスキーは、ほとんど寝食を忘れる勢いで作曲に没頭いたします。 |
ところが、あまりに熱中し過ぎたため、曲が完成したときには精神的に消耗してしまい、ほとんど病人になりかけるほどでございました。
なお、チャイコフスキーは1874年になって再度この交響曲を改訂しており、今日ではこの版で演奏されております。 チャイコフスキーがこの曲に取り組んでいた当時、ロシアには交響曲と名の付くものはアントン・ルビンシテインの作品を除けば、リムスキー=コルサコフの第1が存在するのみでした。ルビンシテインの作品は前述のようにメンデルスゾーンの影響を色濃く残したドイツ・ロマン派ふうの作品でしたから、真にロシア的な交響曲といえば、リムスキー=コルサコフの交響曲が最初の作品と申せましょう。が、1865年完成のこの曲は、ロシア最初の交響曲というには力不足の感が否めません。そう考えると、質量ともにロシア最初の交響曲の名誉を担うのは、やはりチャイコフスキーの第1交響曲ということになりそうでございます(ちなみに、ロシア最初の交響曲の候補作、ボロディンの第1の完成は、惜しくもチャイコフスキーに遅れること1年、1867年でございました)。
チャイコフスキー自身、最初の交響曲を真にロシア的なものに作り上げようと意図したと思われます。それはたとえば第1楽章の第1主題が主調のト短調というよりはロシア民謡ふうの旋法に拠っていること、楽節構造が西欧的な4小節単位でなく、第1楽章全体に亘って3小節を単位としていることなどにも窺えます。
@ 譜例@は第1楽章第1主題です。この主題は、スタッカートを施されて譜例Aのリズムに変容されます。
A
このリズムが第1楽章全体を統一するリズムになっていることは申し上げるまでもございません。
B 譜例Cは第4楽章の第1主題です。この主題が譜例Bの反行形から導き出されていることは明らかでございます。
C このように、この交響曲の中でも重要な両端楽章は、主題的に密接に関連しております。最初の交響曲の作曲にあたって、チャイコフスキーがいかに全曲の構成に心を砕いたかが推察されます。 第1交響曲には作曲者自身によって「冬の日の幻想」というタイトルが付けられております。初演時には第1楽章に「冬の旅路の幻想」、第2楽章に「陰気な土地、霧の土地」という表題も付けられておりましたが、出版の際に第1楽章の表題は削除されました。このあたりの経緯は、ちょっとシューマンの第1交響曲「春」に似ております。
ピアノ連弾化にあたりましては、ある程度意識してあっさりめにアレンジしてみました。 |
(2007.12.21〜2008.1.5) |