交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
(Robert Schumann : Symphony No.3 in E flat major, Op.97 "Rheinische")

シューマンの4つの交響曲の中でもおそらくもっとも人気の高い第3交響曲「ライン」は1850年、シューマン40歳の年の11月から12月にかけて、わずか1ヶ月ほどで一気呵成に書き上げられました。
この年の9月にデュッセルドルフの管弦楽団と合唱団の指揮者として招聘されたシューマンは、ライン河沿いのこの街を大いに気に入り、しばしば川岸を散策したそうでございます。
環境が変わったことで、進行していた精神疾患も一時的に軽快し、新鮮な創作意欲がシューマンを突き上げたのでございましょう。この交響曲には第2交響曲に見られるような重苦しい葛藤のようなものはなく、のびやかな生命力に満ちた音楽の流れが感じられます。

第3番となってはおりますが、今日第4番として知られるニ短調の交響曲は1841年作の改訂版でございますので、「ライン」は実質的にはシューマン最後の交響曲となります。同じく明るい情感をもった10年前の第1交響曲と比較して、この交響曲が気高いまでの風格をもっている所以でございましょう^^

さて、第3交響曲には他の3曲には見られない特徴がいくつかございます。

まず第一に、この作品は5つの楽章で構成されております。ベートーヴェンの「田園」、ベルリオーズの「幻想」などにその前例はございますが、この時代の交響曲としては珍しいことでございます(メンデルスゾーンの第2交響曲は2部12楽章構成ですが、これは交響的カンタータともいうべき作品ですので例外中の例外と申せましょう)。

次に、第1楽章に序奏がございません。単刀直入に始まる奔流のような音楽は、聴く者の心をたちどころに捉える力強さをもっており、強い印象を与えます。また、この楽章では提示部にリピート記号が付いておりません。これもシューマンの交響曲の第1楽章としては唯一です。提示部の反復によって全体の流れを中断したくなかったのでございましょう。

さらに、この曲は実質的なスケルツォ楽章をもっておりません。第2楽章は「スケルツォ」と明記されてはおりますが、性格的にはこれはとうていスケルツォではございません。強いて申せばレントラーでございましょう。しかしながら、この楽章はきわめて効果的でございまして、奔流のような第1楽章を受けて、ゆったりした大河の流れを想起させる名曲でございます。

最後に、この曲には他の交響曲に見られるような全曲を統一する「モットー」となる主題がございません。その意味では、全曲の統一感は他の3曲に比較してややゆるいと申し上げてもよろしいかと思います。もっとも、第4楽章と第5楽章には共通のモティーフが循環的に用いられ、曲の後半が単なる組曲に堕すのを防いではおりますが。

もうひとつ付け加えるなら、シューマンは交響曲ではこの曲で初めて速度指定をドイツ語で行っております(第4交響曲も改訂版ではドイツ語が用いられておりますが、初稿は伝統的なイタリア語でございます)。

初演は1851年の2月6日にシューマン自身の指揮で行われて好評を博し、続けて2月25日、3月13日にも再演されました。以来シューマンの交響曲の中でももっともよく演奏される曲となって今日に至っております。
なお、「ライン」という曲名は作曲者自身によるものではございませんが、大河の流れを思わせるこの交響曲を象徴するタイトルとしては、なかなかにふさわしいものではないかと存じます。

ちなみに、チャイコフスキーがこの交響曲に下した批評を見てみましょう。

「第1楽章のインスピレーションの強烈なパトスや作品のメロディとハーモニーの比類ない美がつねに聴衆に理解されないのは、ひとえに、音楽の美にいかに敏感な聴衆の聴神経をも逆撫でせずにはおかない編曲の色彩のない重々しい濃厚さのためなのである。

メヌエットのリズムで書かれた第2楽章は、単純な分かり易いメロディと明確な形式を持ち、他のどの楽章よりも聴衆に気に入られる特徴を持っている。(中略)

この交響曲のアンダンテは、純粋にドイツ的で、幾分センチメンタルな性格を持ち、この種のシューマンの作品の中では特に傑出しているわけではなく、いずれにしてもこの作曲家の第2交響曲の素晴らしい魅惑的なアンダンテとは比べるべくもない。

この後に通常の交響曲形式の枠からはみだす第4のエピソードが続く。(中略)人間の芸術創造に由来するもので、これ以上力強く深遠なものはかつてなかった。たとえケルン大聖堂の建立に何世紀もの時が費やされ、この壮大な建築構想を実現するため幾多の世代が労力を費やしたとしても、この大聖堂の荘厳な美しさにインスピレーションを得た偉大な音楽家のこのたった1枚の楽譜は、大聖堂そのものに匹敵する人間の精神の深遠さの不滅の記念碑を未来の世代のために打ち立てているのである。

この交響曲のフィナーレは、もっとも失敗した楽章である。どうやらシューマンは、コントラストを出すために、この陰鬱な第4楽章の後に晴れがましい歓喜の小曲を続けたかったようである。しかし、その種の音楽は、シューマンという、どちらかと言えば人間の悲しみの歌い手には向いていなかったのである」

チャイコフスキー/「ロシア通報」1872年11月18日「第2回交響曲の集い」から(岩田 貴・訳)

いかがでしょうか?
第4楽章を除くと、全般的にはかなり辛口の批評のように見えますが、チャイコフスキーは同じ文章の中でシューマンを「ベートーヴェンに次ぐドイツ楽派の優れた交響曲作家」と位置づけており、実は非常に高く評価しているのでございます。チャイコフスキーの不満は、シューマンのすばらしい音楽がその不手際な(とチャイコフスキーには見えた)オーケストレーションのために損なわれ、世間の充分な理解を得ていない点にあったものと思われます。

それはともかく、この交響曲がシューマンの代表作のひとつであることは疑いがございません。ピアノ連弾への編曲は、毎度のことながら拙いものではございますが、万が一お楽しみいただければ幸甚でございますm(__)m

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この編曲は、いつも「あそびの音楽館」を応援してくださっているhiroさんに、お誕生日のプレゼントとして、感謝とともに献呈させていただきます^^
(2008.3.20〜4.13)

交響曲第3番 変ホ長調 作品97「ライン」・全曲連続再生 

第1楽章/生き生きと(I. Lebhaft) 
第2楽章/きわめてほどよく(II. Sehr mässig) 
第3楽章/速くなく(III. Nicht schnell) 
第4楽章/荘厳に(IV. Feierlich) 
第5楽章/生き生きと(V. Lebhaft) 

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma