交響曲第1番 変ロ長調 作品38 「春」 (Robert Schumann : Symphony No.1 in B flat major, Op.38 "Frühling") |
シューマンは1829年から1839年まではひたすらピアノ曲を発表し続け、次の1840年には一転して歌曲ばかりを集中的に作曲しております。 このおよそ10年間にわたる作曲活動は、シューマンという作曲家のイメージを歴史的に確定したと申してよいでしょう。すなわち「ピアノ小品とドイツ・リートの大家」としてのシューマン像でございます。 ところが、シューマンにはごく若い頃から交響曲の作曲を最大の目標に据えていた形跡があり、実際に1832年というかなり早い時期から、今日「ツヴィッカウ」の名で呼ばれるト短調の交響曲に取り組んでおります。この曲は未完成に終わりましたが、ベートーヴェンとシューベルトを継承するような偉大な交響曲を作りたいという願望は、消えることなくシューマンの中に脈打っていたものと思われます。
1838年、尊敬するシューベルトを偲んでウィーンを訪れたシューマンは、遺稿の中からひとつの交響曲のスコアを発見いたします。これこそ、今日「ザ・グレート」の通称で親しまれているハ長調の大交響曲でございました。この作品の発見が、シューマンの交響曲創作への情熱の新たな火種となったことは想像に難くありません。
1840年も終わりに近づいた頃、シューマンはついに交響曲の筆を起こします。ハ短調の交響曲。この調性、ベートーヴェンを意識したとは申せますまいか?
直接の契機は詩人アドルフ・ベッカーの詩「汝、雲の霊よ」を読んだことだそうですが、シューベルトのハ長調交響曲の響きがインスピレーションの源泉のひとつになっていたことは間違いございません。
さて、初演の日取りも決まり、順風満帆のシューマンでございましたが、オーケストラの練習に立ち会って大ショックを受ける破目になってしまいます。
☆初稿版モットー
☆第1楽章第1主題
☆第2楽章主要主題 結局、シューマンはモットーの音列を変更することに決めました。新しい音列は移動ドでいえば「ミ‐ド‐レ‐ミ」となり、初稿のモットーのほの暗さを失った代わりに、輝かしい明るさを獲得したと申せましょう。
☆決定版モットー ちなみに、初稿版では冒頭はどう響いていたのか?と興味のおありの方は、こちらでお聴きいただくことができます。かなり印象が違って聴こえるかと存じます^^ 初演はメンデルスゾーンの指揮で行われ、成功を収めました。これに勢いを得たシューマンは、立て続けに「ニ短調交響曲(後に改訂して第4交響曲となる曲)」「序曲・スケルツォと終曲」「ピアノと管弦楽のための幻想曲(後にピアノ協奏曲の第1楽章となる曲)」を作曲し、1841年は前年の「歌曲の年」に続き「管弦楽の年」といわれる実り豊かな年になったのでございます\(^o^)/ この曲は「春の交響曲」として作曲された当初は、各楽章に以下のようなタイトルが付けられておりました。
第1楽章:春の始まり(Frühlingsbeginn) しかしながらこれらのタイトルは、出版の際にすべて削除され、全曲のタイトルも「春の交響曲」から単に「交響曲第1番」に変更されました。これはおそらく、聴衆に必要以上の先入観を与えないためもあったでしょうが、同時にこの曲はベートーヴェン、シューベルトの衣鉢を継ぐ正当派交響曲である、というシューマンの自負を表してもいるような気がいたします。
シューマンの管弦楽曲では、しばしばオーケストレーションの欠陥が指摘されております。スコアを見てまず思うことは「厚塗り」だということでございます。これはこの曲でも同様で、連弾化にあたりましては、風通しをよくするか、それとも原曲の厚ぼったさを生かすか、選択に迷いましたのが正直なところです。 |
(2006.1.3〜1.21) |
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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様 | |
◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma
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