ドヴォルザーク/交響曲 第6番 ニ長調 作品60
(Antonín Dvořák : Symphony No.6 in D major, Op.60)

Dvorak 1878年に出版された「スラヴ舞曲」が大ヒットして一気に知名度の高まった38歳のドヴォルザークに、指揮者のハンス・リヒターが交響曲の作曲を勧めたのは1879年の暮れのことでございます。ちょうどブラームスの第2交響曲を聴いて感銘を受けていたドヴォルザークは、翌1880年の8月27日にニ長調交響曲のスケッチを始め、およそ1ヶ月後の9月29日にスケッチを書き上げ、10月13日にはオーケストレーションも完了いたしました。作曲に要した期間は1ヵ月半という速筆でございます。
ニ長調交響曲はハンス・リヒターに献呈されましたが、種々の事情でリヒターはこの曲を初演することができず、1881年3月25日、アドルフ・チェフの指揮、プラハの国民劇場管弦楽団によって初演されました。ハンス・リヒターは翌1882年にロンドンでこの交響曲を指揮し、大成功を収めたということでございます。

さて、ドヴォルザークはこの交響曲までに、すでに5曲の交響曲を書き上げておりました。それらはいずれも無名時代の作で、当然出版もされていなかったのですが、それでもドヴォルザークは自分なりに作品番号を与えておりました。
新作のニ長調交響曲には58という作品番号を付けていたのですが、1882年にジムロック社から出版されたこの曲は「交響曲第1番 ニ長調 作品60」となっておりました。初めて出版された交響曲なので「第1番」とされたのはともかく、作品番号が58から60に変えられたのは、ドヴォルザークには納得のいかないことでしたが、そこにはジムロックの商売上の理由があったのです。
ジムロック社では、1881年にドヴォルザークの「スターバト・マーテル」を出版したのですが、この作品に作曲者によって与えられた「作品28」という作品番号は旧作のイメージが強いとして(実際旧作には違いありません)、いかにも新作に見せかけるために、オリジナルの28に30を足して「作品58」に改竄したのでございます。また、ピアノのための「伝説曲」を「作品59」として出版したため、ニ長調交響曲は「作品60」にするしかなかったのでございました。
ドヴォルザークは大いに不満だったと思われますが、メジャーデビューした作曲家としてはまだ新人の部類だったため、このときは腹の虫を抑えたようでございます。とはいえ、ジムロック社のこうした行為の繰り返しが、数年後に裁判沙汰一歩手前までこじれる原因となったことは明らかでした。

それはともかく、この作品はドヴォルザークの記念すべき「第1交響曲」として、20世紀の中頃までその番号で呼ばれておりました。ドヴォルザークのすべての交響曲が年代順に整理されて、この曲は「第6交響曲」となりましたが、その頃には、ドヴォルザーク生前とは打って変わって、この交響曲が演奏されることはめったになくなり、今日に至るまでドヴォルザークのマイナー交響曲の位置に甘んじているように思えます。
しかしながら、この交響曲はこの時期のドヴォルザークの作曲技術や創意の集大成的な観があり、規模も大きく、充実した音楽であると思われます。とりわけ、第3楽章のフリアントは、これはもうドヴォルザークの個性の充溢した音楽で、この作曲家の書いたスケルツォ楽章の中でも屈指の傑作と申してよろしいかと存じます。
ブラームスの第2交響曲との類縁性も指摘され、たしかに調性をはじめ、第1楽章や第4楽章にはブラームスを意識した跡が見受けられはしますが、全体としては紛れもなくドヴォルザークの音楽になっていると申せましょう。
第7〜第9の、いわゆる「三大交響曲」の人気の陰に隠れがちではありますが、もっと知られてよい作品ではないでしょうか。

というわけで、このたび「あそびの音楽館」では、第6交響曲のピアノ連弾版を取り上げてみました。編曲はドヴォルザーク自身の手に成るもので、お楽しみいただければ幸甚でございますm(__)m

(2012.7.11〜7.24)

交響曲第6番ニ長調 作品60・全曲連続再生 

第1楽章/アレグロ・ノン・タント (I. Allegro non tanto) 
第2楽章/アダージョ (II. Adagio) 
第3楽章/スケルツォ(フリアント):プレスト (III. Scherzo(Furiant) : Presto) 
第4楽章/フィナーレ:アレグロ・コン・スピリート (IV. Finale : Allegro con spirito) 

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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:A. ドヴォルザーク ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma