ドヴォルザーク/交響曲第3番 変ホ長調 作品10 (Antonín Dvořák : Symphony No.3 in E flat majo, Op.10) | |
ドヴォルザークの最初の出世作は1873年3月に初演された讃歌「白山の後継者たち」で、この作品の成功に自信を得たのでしょうか、4月になると8年ぶりに交響曲に取り組み、7月に書き上げたのがこの変ホ長調交響曲でございます。 ただし、ドヴォルザーク自身は1865年に書き上げて作曲コンクールに応募したものの落選したハ短調の第1交響曲を自作の数に入れておりませんので、作曲者の意識としては、新しい交響曲変ホ長調は8年前の変ロ長調に続く2番目の交響曲、という捉え方だったであろうと思われます。 |
変ホ長調の交響曲は作曲の翌年3月、スメタナの指揮でプラハで初演され、ドヴォルザークの交響曲中最初に公開演奏された作品となりました。 ちょうど同じ時期に、若い芸術家のためのオーストリア政府奨学金制度が創設され、ドヴォルザークは新作の2つの交響曲(変ホ長調と1874年作のニ短調)で応募したところ見事審査をパス、400グルデンの奨学金を獲得いたします。この金額は、音楽の個人授業と教会オルガニストのアルバイトで得ていた年収の3倍以上で、ドヴォルザークは生計の面でもある程度ゆとりをもつことができるようになりました。
ところが、この交響曲も含めて1870年代までに書かれた交響曲はいずれも出版されることなく時は過ぎ、1880年代に入ってようやく出版されたドヴォルザークの第1交響曲ニ長調は実質的には6番目の作品で、それまでに書かれた交響曲はいわば「なかったもの」のような扱いでございました。 ちなみに、ドヴォルザークが未出版の自作交響曲に強い愛着を抱いていたことは、最後の交響曲「新世界から」のスコアの表紙を見れば明らかでございます。
この表紙の左下半分をご覧ください。ドヴォルザーク自身の手で、交響曲が作曲順に番号付けされているのです。 |
| 上から順に |
交響曲第1番 変ロ長調 1865年 と記されていることがわかります。 |
出版された交響曲の番号はこの時点で、第1番ニ長調、第2番ニ短調、第3番ヘ長調、第4番ト長調(ホ短調も第5番として出版されることは確定)となっていたにもかかわらず、ドヴォルザーク自身の中の「これまでに作曲した交響曲をすべて認めてほしい」という強い思いが、このようなメモを残させたのではないでしょうか?
さて、この交響曲は全曲が3つの楽章で構成されております。これはドヴォルザークの交響曲としては唯一で、他に例がございません。その理由として、終楽章がスケルツォを兼ねたような性格をもっているから、とも考えられますが、本当のところはわかりません。ともかく、ドヴォルザークとしてはこの曲で新機軸を打ち出そうとしたのではないか、と推測されるのみでございます。
もうひとつ、この交響曲の特徴として、ドヴォルザークの交響曲中もっともドイツ的な趣きをもっている、という点を挙げておきたいと思います。とりわけ最初の2つの楽章にそれが顕著で、ひょっとしてドヴォルザークはこの交響曲のお手本としてベートーヴェンの英雄交響曲を意識していたのではないか、という気がいたします。変ホ長調という調性、ヒロイックな第1楽章、葬送行進曲ふうの長大な第2楽章は、どうしてもベートーヴェンを連想させずにはおきません。 それはともかく、ここではピアノでこの交響曲を演奏するため、2台ピアノ用にJun-Tが編曲したものを掲載しております。例によって原曲の豊かなオーケストレーションの彩りは失われてしまっておりますが、万が一お楽しみいただければ幸甚でございます。 | |
(2016.6.14〜7.9) | |
交響曲第3番変ホ長調 作品10・全曲連続再生 | |
第1楽章/アレグロ・モデラート(I. Allegro moderato) | |
第2楽章/アダージョ・モルト、テンポ・ディ・マルチア(II. Adagio molto, tempo di marcia) | |
第3楽章/フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ(III. Finale : Allegro vivace) | |
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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma | |