ドヴォルザーク/交響曲 第1番 ハ短調 作品3「ズロニツェの鐘」
(Antonín Dvořák : Symphony No.1 in C minor, Op.3 "Zlonické zvony")

1865年の2月から3月にかけて、およそ1か月半という短期間に、ドヴォルザークは最初の交響曲を書き上げました。当時ドヴォルザークは23歳、プラハ仮劇場オーケストラのヴィオラ奏者として貧しい生活を送りつつ、作曲家を目指して努力中でした。
まだ作曲の経験も多くない青年ドヴォルザークが交響曲という大形式かつ大編成の作品に手を染めたのは、ドイツで開催された作曲コンクールに応募するためでした。大作であるにもかかわらず、かなりの短期間で完成したのも、コンクールの締め切りに間に合わせるためだったと考えられます。
残念ながらこの交響曲はコンクールで落選し、しかも送ったスコアは返却されず、紛失してしまいました。
後年、有名作曲家に出世したドヴォルザークは、未出版だった4つの交響曲(現在の第2〜第5)に大改訂を施し、これらを含めて8つの交響曲が生前に演奏されましたが、最初の交響曲だけは紛失したままで、ドヴォルザーク自身、この曲はなかったものと認識していたようでございます。

1923年、作曲者没後20年近くを経て、歴史学者ルドルフ・ドヴォルザークの遺品の中から、なんとドヴォルザークの交響曲のスコアが発見されました。ちなみに、ルドルフは作曲者のドヴォルザークとは血縁関係にないそうで、どういう経緯でコンクール落選作が赤の他人の手に渡っていたのかは寡聞にして存じません。
初演は1936年、出版は1961年で、この時点でドヴォルザークの全交響曲の時系列に沿った番号が確定したようでございます。

さて、20世紀半ばになってようやく第1番に収まったドヴォルザークのハ短調交響曲、このジャンルの処女作ということもあってか、力作でございます。
交響曲は作曲者自身によって「ズロニツェの鐘」と名付けられておりますが、この「ズロニツェ」というのはドヴォルザークが少年時代に肉屋の修行をした町で、ここでドイツ語を教えていたアントニン・リーマンという先生に出会ったことで、ドヴォルザークの音楽家への道が開かれます。作曲者にとっては思い入れのある地名で、そういうこともあって最初の大作にこの名を書き込んだのかもしれません。

全曲は伝統に則って4つの楽章で構成されております。
各楽章の調性設定(ハ短調→変イ長調→ハ短調→ハ長調)を見ますと、ベートーヴェンの第5交響曲とまったく同じです。この点でドヴォルザークはベートーヴェンを意識していたように思えますが、実際にはこの曲はベートーヴェン的というよりは、シューベルトやシューマン的でございます。
上述したように、この作品は力作ですが、力作必ずしも傑作ならず、湧き出るアイディアを次々に投入した結果、見通しのよくない作りになっており、ドヴォルザーク最大の強みである楽想の豊かさも充分な効果を発揮しているとは申せません。およそ半年後に書かれた第2交響曲が魅力的な旋律に溢れているのとは対照的でございます。
とはいえ、23歳の若さでこれほど長大な交響曲をまとめ上げた力量は立派なものであり、ドヴォルザークの交響曲の出発点として意味をもつ存在であると申せましょう。

ここではピアノでこの交響曲を演奏するため、2台ピアノ用にJun-Tが編曲したものを掲載しております。例によって原曲の豊かなオーケストレーションの彩りは失われてしまっておりますが、万が一お楽しみいただければ幸甚でございます。

※「作品3」というのはドヴォルザーク自身によるものではありません。正式には、この曲には作品番号がありませんが、本来欠番である「作品3」がこの曲に割り当てられる場合がありますので、弊サイトではそれに従っております。

(2022.12.28〜2023.1.27)

交響曲第1番ハ短調 作品3「ズロニツェの鐘」・全曲連続再生 

第1楽章/マエストーソ − アレグロ (I. Maestoso - Allegro) 
第2楽章/アダージョ・ディ・モルト (II. Adagio di molto) 
第3楽章/アレグレット (III. Allegretto) 
第4楽章/フィナーレ:アレグロ・アニマート (IV. Finale : Allegro animato) 

◇「ドヴォルザーク交響曲全集」に戻ります◇
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録音:jimma