ブルックナー/交響曲第3番 ニ短調 (Anton Bruckner : Symphony No.3 in D minor) |
ブルックナーは生涯にわたってワーグナーの音楽に敬愛の念を抱き続けた人ですが、実際にバイロイトの巨匠に会ったのは1873年、ワーグナーが畢生の大作「ニーベルングの指環」の筆を完成に向かって進めている頃でございました。 この年ブルックナーは49歳、すでに4つの交響曲(「習作」、第1番、第0番、第2番)を完成し、第3番も終楽章を除いて書き上げておりましたが、いまだ重要な交響曲作家とは認められず、不遇をかこっている時期でした。そうしたブルックナーを、ワーグナーは多忙にもかかわらず迎え入れたのでございます。 このときブルックナーは第2番と第3番のスコアを見せて、いずれかを献呈したいと申し出たところ、ワーグナーは第3番の方を選び、ブルックナーを感激させました。後年、出版の際にはスコアの表紙に「ワーグナー」の名を大書させ、作曲者名が目立たなくなってしまうほどでした。
ワーグナーとの面会に勇気づけられたのでしょうか、ブルックナーの創作意欲は急伸し、年内に第3交響曲を完成するとともに翌1874年には若干の改訂を加え、この年のうちに新作の第4交響曲(ロマンティック)が完成、さらに翌年には第5交響曲が書き進められております。そしてこの年、1875年には第3交響曲の初演が決定し、ヨハン・ヘルベック(Johann Herbeck:1831-1877)の指揮でウィーン・フィルによるリハーサルが始まりました。 1884年の第7交響曲の成功で、ブルックナーの交響曲はようやくまともに評価されるようになりますが、第8交響曲作曲後の1888年、ブルックナーは第3交響曲の2度目の改訂に取り組み、翌1889年に仕上げます。これが今日「第3稿」として知られるもので、当時円熟していた作曲技術によって「第2稿」を更に要領よくまとめ上げ、演奏時間もさらに短縮され、3つの稿の中では一般にもっとも完成度が高いと見なされております。 この「第3稿」は1890年にハンス・リヒター(Hans Richter:1843〜1916)指揮のウィーン・フィルによって初演され、ついに成功を収めました。「初稿」の完成から17年後のことでございます。
第3交響曲は「ワーグナー」の愛称をもっておりますが、これはもちろんワーグナーに献呈されたからでございます。「初稿」にはいくつかの箇所にかなりはっきりしたワーグナーの作品からの引用があり、それがひとつの特徴でもありましたが、「第2稿」ではそうした引用はごく一部を除いてカットされ、それは「第3稿」にも引き継がれます。
ここで取り上げております四手連弾版は、なんとマーラーの手に成るものでございます。上に書きましたように、マーラーは第3交響曲第2稿の初演の際の聴衆であり、ウィーン大学でブルックナーに師事したこともあり、当時としては多くないブルックナー支持者のひとりでございました。ブルックナーもこの自分を尊敬してくれる若い学生を信頼し、ピアノ連弾への編曲を依頼したものと思われます。
【ブルックナーによる指定】
【マーラーによる指定】 ブルックナーとマーラーのコラボによるピアノで聴く第3交響曲、お楽しみいただければ幸甚でございますm(__)m |
(2019.3.4〜3.18) |
◇交響曲全集に戻ります◇ | |
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編 曲:G. マーラー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |