ブラームス/交響曲第4番 ホ短調 作品98 (Johannes Brahms : Symphony No.4 in E minor, Op.98) |
ブラームスが4番目の交響曲に着手したのは1884年、第3交響曲完成の翌年でございます。この年の夏にはじめの2つの楽章を作曲し、残りの2楽章は翌85年の夏に書き上げて、ふた夏がかりで交響曲を完成いたしました。しかしながら、第3交響曲作曲以前の1882年の段階で、ブラームスは指揮者のハンス・フォン・ビューローに「バッハのテーマに基づくシャコンヌによる交響曲の楽章」の構想を語っており、第4交響曲の着想そのものはその時期まで遡ることができそうでございます。 |
交響曲完成後の10月8日、ブラームスは第2交響曲以来恒例となっていた2台ピアノによる新作の試演会を開きました。ところが、この席で作曲者自身とイグナーツ・ブリュルによる演奏を聴いた友人たちは、一様に危惧を抱いたそうでございます。 と申しますのも、この作品がそれまでのブラームスの交響曲に比べてあまりにも技巧が複雑な上、古色蒼然とした印象を与えるためで、専門家でない一般聴衆には受け容れられないのではないか、というのがその場の空気でございました。後にブラームスの評伝を書くことになる評論家・作家のカルベック(Max Kalbeck:1844〜1921)などは、「第3楽章と第4楽章はまるごと作曲し直した方がいい」と助言したほどでございます。 |
しかしながら、自作に自信をもっていたブラームスはスコアに手を加えることなく、10月25日、自ら指揮棒を執ってマイニンゲンでこの曲を初演いたします。 結果は大成功で、11月にはドイツやオランダの各都市でも次々に初演され、一般の聴衆からは好評をもって迎えられました。 翌年の2月に、友人のヨーゼフ・ヨアヒムの提案を容れたブラームスは、第1楽章に4小節の導入部を書き加えますが、間もなく削除しています。結局のところ、友人たちの危惧は杞憂に終わり、交響曲は最初の姿のまま、今日まで演奏され継がれてきたのでございます。 |
ちなみに、ブラームス以外の人物による編曲では、ケラーの連弾用が「Allegro non assai」、ジンガーの独奏ピアノ用が「Allegro non troppo」となっております。出版はケラーが1890年頃、ジンガーの方は1920年頃でございます。もしかすると、1890年頃から97年までのどこかの時点で、原曲のスコアの速度指定がブラームス自身の手によって書き換えられたのでしょうか?
それはともかくとしまして、第4交響曲はブラームス最後の交響曲でございます。ブラームス自身は当初はこれを最後の交響曲にするつもりはなく、1890年頃までは第5交響曲の試みを続けていたようですが、諸般の事情から、結果的に最後の交響曲となってしまいました。
教会旋法(フリジア調)の趣きをもつ第2楽章、4つの交響曲中、唯一スケルツォ的性格を備えた第3楽章、そして全曲の音楽的頂点を成すパッサカリアの第4楽章と、それぞれに個性的な風貌の各楽章が、きわめて知的・論理的に構成されながら、その堅固な構造の中から滲み出る悲劇的情感によって孤高の精神的ドラマを形成しており、まさにブラームス最後の交響曲にふさわしい傑作というほかございません。
「あそびの音楽館」では、この交響曲をブラームス自身の2台ピアノ用の編曲で再現してみました。ただし、第1楽章の速度指定につきましては、現行の「Allegro non troppo」で表記してあります。 |
(2013.4.27〜5.8) |
交響曲第4番ホ短調 作品98・全曲連続再生 | |
第1楽章/アレグロ・ノン・トロッポ(I. Allegro non troppo) | |
第2楽章/アンダンテ・モデラート(II. Andante moderato) | |
第3楽章/プレスト・ジョコーソ(III. Presto giocoso) | |
第4楽章/アレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート(IV. Allegro energico e passionato) | |
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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編 曲:J. ブラームス ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |