ブラームス/交響曲第3番 へ長調 作品90 (Johannes Brahms : Symphony No.3 in F major, Op.90) |
1876年から1885年まで、およそ10年の間にブラームスは4つの交響曲を発表しております。ブラームスの職業作曲家としての全創作期間は40年以上にわたっており、そのうちの10年というのは創作的生涯のごく一部に過ぎず、その点ではブラームスの場合は、たとえばベートーヴェンやチャイコフスキー、あるいはマーラーやシベリウスのように、生涯にわたって交響曲を作り続けたという意味での「交響曲作家」には該当しないと申してよろしいでしょう。 |
しかしながら、年齢にして43歳から52歳にかけての10年間は、ブラームスのもっとも創作力旺盛にして充実した時期で、とりわけ管弦楽の分野では、4曲の交響曲をはじめとする代表作の大部分がこの期間に発表されております。 第3交響曲は1877年の第2交響曲のあと、78年のヴァイオリン協奏曲、80年の2つの序曲(大学祝典序曲と悲劇的序曲)、81年の第2ピアノ協奏曲を挟んで、1883年の5月から10月にかけて作曲されました。ブラームスの交響曲としては第2に次いで短期間に書き上げられております。 |
第3交響曲は作曲された年の12月2日にウィーンで初演され、反ブラームス派のいやがらせ(それがどの程度のものであったのか存じませんが)があったにかかわらず、大成功を収めました。第2交響曲発表から6年、50歳のブラームスは交響曲作家としての地位をさらに高めたのでございます。
ところで、第2交響曲を作曲した頃のブラームスはヒゲをきれいに剃っており、40歳を過ぎても容貌に若々しさを残しておりましたが、第3交響曲の時期になりますと、現在よく知られた肖像のように顔半分がヒゲに埋もれてしまいます。 第3交響曲には第1、第2と同じく、全曲の基本動機となるものがございますが、ブラームスがこの曲で設定したのは半音階的な以前の2曲の場合と異なり、きわめて明瞭で飛躍的な音程をもつ以下のようなものでございます。
これは基本動機というよりシューマンの交響曲におけるモットーに近いもので、ブラームスの愛用句「Frei aber froh(自由だが孤独だ))の頭文字によるとの説がございます。その真偽のほどはともかく、曲の冒頭に断固として示されるモットーの跳躍的な上昇と第2音のAs(変イ)の響きは、この交響曲を極めて印象深いものにしております。実際、第3交響曲はヘ長調で書かれながら全体としてしばしば短調に傾き、とりわけ終楽章がへ短調であることは、長調の曲としてはかなり異例であると申せましょう。
初演のタクトを執ったハンス・リヒターは、この交響曲を「英雄」と名づけたそうでございます。これは「第3番」であるところからベートーヴェンのそれとの連想によるものではないかと推察されますが、たしかに両端楽章にヒロイックな表現があるとはいえ、私はこの曲を「英雄」というよりは「歌う交響曲」と呼びたいと思います。中間の2つの楽章はもちろんですが、両端楽章についても、ブラームスは展開よりも主題あるいは旋律の提示に力を入れており、むしろ旋律の魅力を損なうような込み入った展開を避けているようにさえ思われるからでございます。構成的にシンプルであることもブラームスの4つの交響曲の中では随一で、これもまたこの作品が「歌う交響曲」であることからの必然的な帰結ではないかと愚考いたします。
ブラームスはこの交響曲を1台ピアノ四手連弾とピアノ二重奏の2つの形態に編曲しております。 |
(2013.3.2〜3.15) |
交響曲第3番ヘ長調 作品90・全曲連続再生 | |
第1楽章/アレグロ・コン・ブリオ(I. Allegro con brio) | |
第2楽章/アンダンテ(II. Andante) | |
第3楽章/ウン・ポーコ・アレグレット(III. Un poco Allegretto) | |
第4楽章/アレグロ(IV. Allegro) | |
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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編 曲:J.ブラームス ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |