帰りもちょうど帰宅のラッシュにかかる時間だった。でも僕はピークが過ぎるまでホームのベンチに座ったまま、十数本の電車を見送った。ただ純粋に「無理」それだけだった。
・・・あんな狂った空間で苦痛に耐えて慣れてゆくことが、一人前の社会人になるための、そして大人になってゆくための試練のハードルだとしたなら、俺は今すぐにでも「社会人」を「大人」を放棄してやる。・・・彼らは幸せなのだろうか? ・・・自分の子供が、いつかこのプラットホームに毎日立つようになることを望んでいるのだろうか? 「一人前の社会人」 として・・・。そんなことを考えながら俺は、一本、また一本と電車を見送っていた。

部屋に辿り着いた時にはもう十二時を過ぎていた・・・。毎年のように訪れている「当たり前の異常気象」の影響で真夏日だったこともあってか、僕は部屋についた途端ベッドに疲れ切った体を投げ込むようにして、眠りに就いた・・・、筈だったが全身を濡らした寝汗と息苦しさで目覚めてしまった。冷たい水でシャワーを浴びて汗を洗い流した後、缶ビールをもう一本飲み干して、再びベッドへ潜り込んだ・・・。 ・・・眠れない・・・。目を閉じると朝の電車の、女子高生と目が合った時の、あの悲痛な顔が何度も浮かんで来て。 ・・・彼女はまだ死んでない。だけど明日の朝もまた、あんな思いをするのか。明後日も、明々後日も、その次も、ずっと・・・。 ・・・俺はもう乗らないけど、このままで決していいわけがない。彼女だけでなく、俺の大切な友達や、兄弟、そして、そいつらが大切に思っている恋人や家族だって・・・。自分にとって大切な人の死に顔なんて出来れば見たくない。それが、生きたままの死に顔だったら悲しすぎるだろ。俺が狂っていると言われても、否定はしないけど、あの空間が当たり前だとは絶対に思えない。絶対にこのままでいいわけがない。だが、俺は彼女に何もしてやれない。 ・・・根元は何処なんだろうか。何が元凶なんだろうか。何処の、どの部分を変えればいいのだろうか。死んじまった奴らなんかどうだっていいんだ。
・・・とにかく、この事を忘れるわけにはいかない。 ・・・何から始める? ビジョン、絵・・・。 ・・・どんな? 分からない。ただ何となく、ぼやけたイメージで、幾つかの事実と、幾つかの腐食したシステム、そして幾つかの作戦、全てがバラバラの「点」ばかりで繋がって来ない。 ・・・なら、とにかく「点」をひとつひとつ集めていこう。線を引くことが出来なくたって、何色もの、何種類もの「点」のひとつひとつを見て、触って、確かめて、感じて、そうやって集めてゆけば立派な「絵」を書くことが出来る。「点描法」・・・小学生の頃、図工の授業で、この「点描法」で絵を書かされたことがあった。ひとつひとつの「点」が小さくて多ければ多いほど綺麗な「絵」が出来るんだ。 ・・・あの女子高生のために? ・・・いや違う、彼女はあくまで起爆剤、きっかけに過ぎない。 ・・・冷たい言い方かも知れないけど、生きるも死ぬも彼女が自分で決めるだろう。そう、彼女が自分で決めなきゃ駄目なんだ。 ・・・じゃ一体誰のために? ・・・そんな事知るか。 ただマズイ物はマズイ。美味い物は美味い。気に入らない物は気に入らない。欲しい物は欲しい。それだけだ。 ・・・欲しい物が何処にも売ってなくて、誰も持っていなかったら? ・・・自分の手で作ればいい。・・・俺は生きているうちは死なない。どんなにうまいラーメンだって、冷めてしまえばマズくて食えないし、ましてや腐っちまったら、ただの生ゴミだ。俺に言わせりゃ、人間だって例外じゃない。 どんなに偉かろうが強かろうが美しかろうが、死んじまってドロドロに腐っちまえば土にでも埋めない限り、ただのゴミ屑なんだよ。 ・・・生きているうちは絶対に冷めちまうわけにはいかない・・・。

何時の間にか眠っていた。翌朝、目を覚ますとすぐに、窓を開けてベランダへ出てみた。空には分厚い灰色の雲が何重にも重なって、太陽の姿は何処かへ隠されていた。それでも、痛いくらいに熱い強風が、この街の中を吹き抜けていた。空一面切れ間なく敷き詰められた分厚い灰色の雲へ向かって・・・。
・・・Don’t be cool!  Don’t be cool!
そう呟きながら窓を閉めると、俺は弦を張り替えたばかりのギターを手に取った。

太陽が出るのを待っているわけにはいかない。太陽が見たければ、自分で風を起こすしかない。窓の外で吹き荒れている 「熱い風の歌」 が、俺にそう教えてくれた。

                                                1997〜1998
                                            By Tatsuya Saitoh