明かりを落としていた部屋の電気をつけて時計を見てみると午前二時を回ったところだった。 心も体もヘトヘトな状態で眠りに就いてから、まだ二時間しか経っていなかった。汗だくだった。イライラしていた。 ・・・疲れているんじゃなかったのかよ、何が言いたいんだ?
・・・何がやりたいんだ?自分で自分に喧嘩をけしかけるように、 ぶつぶつ独り言を吐きながら、冷蔵庫から取り出して一気に飲み干した冷えた缶ビールを、 不快な熱帯夜にただひたすら耐え続けているこの街の日常へ向けて窓から投げ捨てた。
その日は珍しく一日中過密なスケジュールを抱えて、朝早くから都内へ出掛けなければならなかった。 慣れない満員電車の中で何の人間関係すら持ち合わないアカの他人と顔を近づけ合いながら、一時間もの間ずっと躰を密着させ続けた。 ・・・こいつらは毎朝こんなペッティングみたいな事を繰り返しているのか。しかもポーカーフェイスを保って、視線を背け合いながら躰を密着させている・・・。 だとしたら、その中に気が狂ってしまう奴が出て来ない方がよっぽど不自然に思えた。俺はその異様な空間と空気に何度も吐き気を催して、その度に遠くなってゆく意識を必死につなぎ留めていた。 時折顔を上げて視界に入る彼らの表情を見つめてみても決して誰とも視線が合うことはなかった。 けど彼らを蝋人形の様に変貌させた現実社会が抱えている矛盾や事実、欲望、そんな様々な問題の要素のベクトルが四方八方で飛び交い、 これでも食らえと言わんばかりに一斉に俺へ向けて投げ付けられたような感覚に陥った。・・・これが、この国の経済を生み出し、 支えてきた原動力の実態?。監獄で強制労働させられている囚人の姿と一体どこが違うって言うんだ・・・。
ある政治家が額に青筋を立てながら演説していた。 ・・・彼らが、彼らこそが、この国をここまで豊かに育て上げてきた。 経済大国JAPANの宝なのです。 ・・・豊かだって?
・・・一体何が? 金のことか? 諸外国に比べて労働賃金が高いってことを指して言っていたのだろうか?  ・・・それと同時に、人の暮らしに不可欠な衣食住に係わる全ての物の物価も諸外国の人々から見れば、俺たちが歌舞伎町の「ぼったくりバー」で突き出された伝票の値段を見た時の驚嘆と同等またはそれ以上だということを、 賃金が三倍も物価も四、五、六、十、倍だという事実を踏まえた上で豊かだと言ったのであれば、彼には、もう一度小学校の算数から勉強してもらわなければならない。 もし知らなかったとしても算数に加えて社会科も一緒に勉強してもらうだけのことだ。そして、この事実をそのまま彼に質問してみた時、即答出来ないようであれば、ただのボケ老人で、政治家どころか、ただの社会のお荷物のひとりだ。 でも結局、そんなボケ老人を政治家に選んだのは紛れもなく「俺達」だという不変の事実に脅迫されながら、満員電車に監禁されているようだった。
・・・もう手遅れだというのか? ・・・じゃ死ぬまでこのままってことかぃ?懸命に反撃の糸口を探してみた。・・・もしかしたら罠にハメられたのか? ・・・騙されてるってことか?・・・まぁ「国民年金」なんて適当な名前付けて、国が堂々と主催しているネズミ構を、「国民の義務だ」なんて言葉に騙され続けている人々がウヨウヨ溢れているくらいだから、 もっと高度な「ペテン」に、みんな気付いてないだけだとしても、不思議ではないだろう。 
・・・カレラガ、マヌケナ カレラ コソガ、ワタシノ カネヲ フヤシテクレタ
・・・ケイザイカンゴクJAPAN ノ シュウジン ナノデス・・・
姿を現すことなく、いつも何処か誰の目も届かない場所から間抜けな俺達を嘲っている「誰か」の 高笑いの歌が、排気ガスとスモッグで煤けて、まるでオブラートに包まれたようにぼやけた街へと俺達を護送してゆくこの下品なレール音に乗って響いていた。俺と躰を密着させていた彼らにも、あの「屈辱の歌」が聞こえていたのだろうか?
その日、ひとつ嫌いになった言葉があった。・・・継続は力なり・・・。