最近は俺だけでなく、大半の若者層の生活サイクルの中に「深夜のコンビニ」が、毎日の習慣へと定着し始めて来ている。世間的な表現方法を借りれば「近代人の孤立化」だとか「若者の夜光性化」「犯罪の低年齢化を促進させる深夜営業の〜」といったところだろう。新しく生まれる殆どの物や習慣に対しては、わざわざ聞こえが悪く、いいイメージを湧かせない言葉ばかりを組み合わせ、「人間本来のヒューマニズムを破壊してゆく社会現象」・・・こんなノリで何でもブームだとか流行の風を盛んに吹かせている。〜海外から吹く流行の風、女子校生から吹く風、中学生、渋谷で遊ぶ若者、OL、ビジネスマン・・・世代や本来の生活環境に引かれたボーダーラインを越えて皆が「最先端」を競い合ってやっきになり、各メディアが描いたシナリオの罠にまんまとはまってゆく。

テレビや雑誌をはじめ、自分以外の誰かから流れてくる情報が今の世の中の基準だと言わんばかりに、あらゆる情報があらゆる手段で人々の目に、耳に、毎日、毎秒のペースで無差別に送り込まれてゆく。そしてそれらの情報を受け取る人々は自分自身のフィルターに通すことをせずに、テレビや雑誌、に教えられた取捨選択を繰り返しているだけ。決して自分の手で、目で、耳で、肌で、確かめて判断しようとはせずに、判断させずに、判断出来ずに・・・。たまに積極的に動き出したと思って見てみると、無い物ねだりか噂話程度が限度で全てが二番煎じの感性と、雑誌から引っ張り出した個性の中で褒めたり、けなしたりを繰り返しているだけ・・・。本当に自分の感性で洋服をコーディネートしてみたり、髪形を変えたり、主張したり、表現する者達は、まるで「奇人」だと言わんばかりに大抵、社会の隅へ追いやられてしまうんだ。俺に言わせてもらえば「精神病」に冒された患者達が一斉に妙な妄想に取り付かれている光景と何ら違う点がないと思えてならない。狂った者が正常な者を指さして笑っている・・・。

最近すごく、ゾッとすることがあるんだ。たとえどんなに狂った人々でも、その絶対数が社会の中で過半数を越えてしまえば、それが正常になってしまう。この国が今まさに歩もうとしている道が、そこへ続いている気がする。子供の頃から「小羊の群れ」「傷のなめ合い」の様な行為を生理的に受け付けることが出来ず、過半数の意見や世論に対しても殆ど唾を吐きつけ、全く違う観点から世の中を見て来た僕は近頃、不幸にも「伝染精神病」に自分が感染していることに全く気づかず「世の中狂っている」と嘆いている数人の知人に 〜狂っているのはお前だ〜 と告知すべきか否か、とまじめに考え出している。当然俺に対しても、誰かが同じことで 〜どうすべきか〜 と悩んでいることもあるだろうが・・・。

まぁ俺の場合は、今更普通じゃないと言われた所で、不安になったり驚くということは一切ないだろう。何故ならば元々、他人と自分は違うのが当たり前だと思っているから。
人にはそれぞれ心があるように、心の中にはそれぞれの「歌」が流れているものだと思っているから。
もう、街の人波の足音からを聞けることは無いのだろうか・・・。