■■ ニ ュ ー ス ■■

テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、毎日様々なメディアからニュースが伝えられてくる。
それら中で使われている言葉に、最近やたらと曖昧さを感じるんだ。
「公的資金」 = 国民から徴収した「税金」
「戦没者」 = 「戦死者」
「従軍慰安婦」、「援助交際」 = 「売春」
「資本社会」 = 金が全ての「実力社会」

誰かが「何か」をごまかそうとして「都合のいい言葉」を作り上げている。
何を隠そうとしているのか。それぞれの言葉に、ちらついている「影」が見えている。
小細工 先送り 臭い物に蓋 トラブル回避 保身・・・、全ては「円満」という言葉に逃げ込んだ「まやかし」に過ぎない。 僕はそう感じている。
誰もがみんな「幸せ」を望み願って、汗水流して働き、家族を守り、社会を構成しているはずなのに。社会のリーダーシップを取ってゆく各メディアが、「まやかし」に逃げている現状では、 「幸せ」を願い、目指すこと自体ただの「人間の自惚れ」になってしまわないだろうか?
人間社会の歴史の中に置き去りにされて来た、罪や過ち、いわゆる「臭い物」が詰め込まれてきた「器の蓋」を開けて、「これだけ悪臭の素を溜めてきました。さぁ皆さん、
どのようにして消化していきましょう。」と本当のあるがままを伝えてゆかなければ、
ニュースなんて人々のトラブルを引き起こすための「起爆剤」でしかなくなる。
人々を「幸せ」から遠ざけるための媒体でしかなくなる・・・。
広い範囲に渡って、社会の中で暮らす人々へ、日々何かを伝えてゆく「ニュース」・・・。そして、日常の中で見た物、聞いたこと、感じたこと、体験したことを伝えながら人々と触れ合って暮らしてゆく僕ら・・・。そう、社会の中で生きてゆく「人々の生き方」って
「ニュース」の縮図みたいなものだと思うんだ。
だからこそ、「ニュース」には、ごまかし、まやかし、野次馬根性、小細工、などを近づ
けることは決して許されない。何故なら、毎日の「ニュース」には必ず、「幸せ」を探し
ながら生きている様々な人々の「人生」が綴られているのだから・・・。