山田 耕筰/音の流れ (Kosçak Yamada : Oto no Nagare) |
山田耕筰は1910年から約3年間、ドイツに留学して作曲を学んでおりますが、このとき経済的に山田をバックアップしたのは、当時三菱財閥の副社長、岩崎小弥太でございました。帰国後、山田は岩崎の支援でオーケストラを結成してその指揮者に就任し、本格的な音楽活動を開始します。いわば、岩崎小弥太は山田の恩人でございまして、「音の流れ」と題するピアノのための小品集は、この恩人に献呈されております。
この曲集は1914年から1916年にかけて作曲されましたが、実は1913年頃、山田耕筰は恋愛でスキャンダルを起こし、それに激怒した岩崎小弥太は山田への援助を打ち切っております。作品の献呈は1916年か17年頃と思われますので、その間に両者のあいだに和解が成立したのか、それとも山田が岩崎の勘気を解こうとして作品を献呈したものか、そのあたりは勉強不足で存じません。
第 1曲 1915年 9月20日 曲はいずれもかなり短く、副題の「小さな詩」そのままでございます。後期ロマン派ふうの作風ではございますが、部分的にかなり思い切った不協和音を用いたりしており、少し前の「主題と変奏」に比べると、一気に近代音楽化したような趣がございます。 いずれにしましても、大正5年前後という時代(まだ夏目漱石が生きていた時代)に、このような曲集が日本人の手で書かれていたということは、わが国の洋楽史上で記憶されていてよろしいのではないかと存じます。 |