チャイコフスキー/弦楽セレナード ハ長調 作品48
(Tchaikovsky : Serenade for Strings in C major, Op.48)

数々の傑作を生み出した30歳代を過ぎ、40歳に足を踏み入れたチャイコフスキーは次第に国際的な名声を博し、当時のロシアでもっとも著名な作曲家のひとりになっておりました。富裕な未亡人、フォン・メック夫人から無償で提供される多額の年金に加え、各方面からの作曲の委嘱で経済的にも余裕をもち、いわば悠々自適に近い生活のできたチャイコフスキーでしたが、第4交響曲や「エウゲニ・オネーギン」、あるいはヴァイオリン協奏曲を作曲していた頃に感じていた強烈な霊感の訪れが絶えかけているのではないか、という不安が忍び寄ってまいります。
職業作曲家としての技術の高さと日々の規則的な創作習慣によって、作品発表のペースは維持されておりましたが、自作に対する自信、とりわけ完成後の自己批判に耐えうる作品の数は、以前に比べて激減していたと申せましょう。例えば、この時期の作として有名な大序曲「1812年」などは、作曲者本人から見れば単なる請け負い仕事に過ぎず、価値のある作品とは思えなかったのです。
そうした中で、「弦楽セレナード」は別格でした。チャイコフスキー自身が「心のもっとも奥深いところから出てきた音楽」と語り、真実の音楽として自信をもつことのできた作品だったのでございます。

少年時代から、チャイコフスキーはモーツァルトの音楽に深く傾倒しておりました。最初の着想は、モーツァルトの様式で交響曲か室内楽曲を作曲する、ということにあったようでございます。1880年の9月に筆を執り始め、10月の初めには弦楽合奏のための音楽として形を成しつつありました。この時期にメック夫人に宛てた手紙の中で、チャイコフスキーは概略以下のようなことを書いております。

「私は今、オーケストレーションを徐々に進めています。このセレナードを、私は心の底からの衝動によって作曲しました。それは自由な思考から生まれたもので、真の価値がないとは申せません」

セレナードはおよそひと月ほどで完成し、11月初めに出版者のユルゲンソンに宛てた手紙では、大略以下のようなことを記しました。

「私は弦楽合奏のための4楽章構成のセレナードを書き上げました。フルスコアとピアノ連弾の原稿を送ります。私はこのセレナードを心から愛しており、一日も早く作品に陽の目を見させたいと願っています」

新作は友人のチェリスト、コンスタンティン・アルブレヒトに献呈され、12月3日にモスクワ音楽院で内々に初演されました。チャイコフスキーは公的初演を指揮者のエドゥアルト・ナプラヴニークに依頼し、「弦楽セレナード」は1881年10月30日にサンクト・ペテルブルクのロシア音楽協会のコンサートで初演され、好評をもって迎えられました。
それ以来、この作品がチャイコフスキーの代表作のひとつとして、根強い人気を持ち続けておりますのはご存知のとおりでございます。

ここで取り上げておりますピアノ連弾版は、チャイコフスキー自身による編曲でございます。
ピアノで演奏された「弦楽セレナード」、お楽しみいただければ幸甚でございます。


弦楽セレナード ハ長調 作品48・全曲連続再生 

第1楽章/ソナチネ形式の小品:アンダンテ・ノン・トロッポ ― アレグロ・モデラート 
   (I. Pezzo in forma di sonatina : Andante non troppo - Allegro moderato) 
第2楽章/ワルツ:モデラート.テンポ・ディ・ヴァルス(II. Valse : Moderato. Tempo di valse)  
第3楽章/悲歌:ラルゲット・エレジアーコ(III. Elegia : Larghetto elegiaco) 
第4楽章/フィナーレ(ロシアの主題による):アンダンテ ― アレグロ・コン・スピリート 
   (IV. Finale(Tema Russo) : Andante - Allegro con spirito) 

◇「あそびのピアノ連弾」に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:P. I. チャイコフスキー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma