チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第2番 ト長調 作品44
(Tchaikovsky : Piano Concerto No.2 in G major, Op.44)

40歳に近づいた1879年の10月、カメンカの妹宅で静養していたチャイコフスキーは、パトロンのフォン・メック夫人宛ての手紙で、大意以下のように書いております。

「私はカメンカでのんびりした日々を楽しんでいますが、頭の中には新しい音楽的アイディアが浮かびつつあります。どうも長く作曲しないでいることには耐えられそうもありません」(10月19日)
「私はピアノのための協奏曲を書き始めました。仕事はゆっくりと、くつろいだ気分で進めています」(10月24日)
「新作は徐々に目鼻立ちがはっきりしてきました。私は焦らずに、じっくりと腰を据えて書いています」(10月27日)

ほぼ同じ時期、チャイコフスキーは出版者のユルゲンソンに以下のように書きました。

「ピアノ協奏曲の第1楽章のスケッチを始めたが、残念ながら、この曲を来春までに君に渡すことはできないだろうな」(11月1日)

その後のユルゲンソンへの手紙では、協奏曲が順調に出来上がっている様子が窺えます。

「今朝はとてもうまく仕事が進んで、終楽章も完成に近づいた。これを書き終えたら、第2楽章のアンダンテに取りかかるが、それはもう僕の頭の中に湧き出している」(12月5日)
「協奏曲の草稿を書き上げた。これはいい出来だと思う。とりわけ第2楽章はとても気に入っている」(12月14日)

冬の間パリやローマなど、国外で過ごしていたチャイコフスキーは、1880年の春を迎える頃、ユルゲンソンに宛てて以下のように書いております。

「もう少ししたらロシアに帰国する。サンクト・ペテルブルクに滞在する予定だが、そこで現在ピアノ二重奏の形でスケッチが出来上がっているピアノ協奏曲をオーケストレーションするつもりでいる。僕はこの作品に非常に満足し、誇らしくも思っている」(3月1日)

ところが、ロシアに帰国したチャイコフスキーは、オペラ「オルレアンの少女」のボーカル・スコアの作成などに忙殺され、しばらくピアノ協奏曲から離れることになります。この曲がオーケストレーションされて完成したのは、5月10日のことでした。

チャイコフスキーは、新しい協奏曲を友人のピアニスト、ニコライ・ルビンシテインに献呈し、1881年のシーズンに、彼の手で初演してもらう心づもりでおりました。
ニコライ・ルビンシテインとは5年前、第1ピアノ協奏曲を酷評されたことで一時仲違いしましたが、その後ルビンシテインが作品の価値を認めて交友が回復したという経緯がございます。チャイコフスキーはルビンシテインに楽譜を見せてその意見を聞き、好感触を得てもいました。
ところが、ルビンシテインは1881年の3月にパリで客死してしまいました。チャイコフスキーはこの友人に作品を献呈しましたが、演奏してもらう計画は水泡に帰したのでございます。
ロシアでの初演は1882年6月、タネーエフのピアノ、ニコライの兄アントン・ルビンシテインの指揮で行われました。実は、これに先立つ1881年11月、この曲はニューヨークで世界初演されておりました。ピアノ協奏曲第1番、第2番ともにアメリカで初演されたことになります。

初演後、チャイコフスキーはこの曲が期待したほど成功しなかったことに大きな不満を抱きました。作曲者自身は、この協奏曲をこれまでに書いた最高の作品のひとつと確信していたのでございます。
後年になると、一般受けしないのは曲が長いからではないかと思い、1888年に再版する際、かつての弟子であったピアニストのジロティの意見を参考に、若干の削除を行いました。ジロティは大胆なカットを求めましたが、チャイコフスキーは最低限のカットに留め、その版でロシア各地はもとよりプラハやパリでも自ら指揮して演奏しましたが、第1番ほどの成功は得られませんでした。
チャイコフスキーの没後、ジロティは最初の2つの楽章に大きなカットを施した版を出版しました。原典版とジロティ版では、以下のような小節数の変動がございます。

  第1楽章 原典版 668小節 → ジロティ版 515小節
  第2楽章 原典版 332小節 → ジロティ版 141小節

第1楽章は原典版の8割未満、第2楽章に至っては4割程度と、驚くべきカット率ですが、実のところこの協奏曲は長い間、ジロティ版で演奏されてまいりました。しかしながら、21世紀になってからは原典版の価値が再評価され、カットなしの演奏が主流になっております。

全曲は伝統に従って3つの楽章で構成されておりますが、長大さはこのジャンルの曲としてはトップクラスで、演奏時間の上ではブラームスのピアノ協奏曲に匹敵します。
しかしながら、豊かな旋律やピアノ独奏の華麗なヴィルトゥオージティにもかかわらず、第1ピアノ協奏曲のようなインスピレーションの横溢にはいささか乏しく、チャイコフスキーの作品としては傑作といい難いのは事実であろうかと思われます。
作曲者自身は前述したように、この曲に自信をもっており、1888年から1891年にかけて、少なくとも4回は自身の指揮で演奏しております(記録に残る限りでは、この期間に世界で7回は演奏されています。ちなみに、同じ期間における第1番の演奏回数は12回)。

ここで取り上げております2台ピアノ用のスコアは、チャイコフスキー自身による原典版、カットなしの編曲でございます。
ピアノのみで演奏されたピアノ協奏曲第2番、お楽しみいただければ幸甚でございます。


ピアノ協奏曲第2番ト長調 作品44・全曲連続再生 

第1楽章/アレグロ・ブリランテ(I. Allegro brillante) 
第2楽章/アンダンテ・ノン・トロッポ(II. Andante non troppo) 
第3楽章/アレグロ・コン・フォーコ(III. Allegro con fuoco) 

◇「あそびのピアノ連弾」に戻ります◇
◇編曲:P. チャイコフスキー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録音:jimma