チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
(Tchaikovsky : Piano Concerto No.1 in B flat minor, Op.23)

チャイコフスキーが最初のピアノ協奏曲に着手したのは1874年の11月、書き上げたのは翌75年2月。その時、チャイコフスキーは34歳でございました。楽壇デビューからおよそ8年、2つの交響曲や幻想序曲「ロミオとジュリエット」などで次第に知名度を高めてきたチャイコフスキーですが、この作品を皮切りに、いわば「傑作の森」の時期に突入し、以後数年間にわたって名作を次々に生み出すことになります。
当初、チャイコフスキーはこの曲を上司で友人のニコライ・ルビンシテインに献呈するつもりでいたところ、ルビンシテインに手厳しく批判されたためにドイツの指揮者・ピアニストであったハンス・フォン・ビューローに献呈し、ビューローがアメリカで初演して大成功を収めた、というのは有名な話でございます。

この曲以前のロシアのピアノ協奏曲としては、すでにアントン・ルビンシテインが5曲を書き上げておりましたが、チャイコフスキーの作品の前では、これらの協奏曲は存在感を失ってしまいました。チャイコフスキーの第1協奏曲は、ラフマニノフ、プロコフィエフへと続くロシアのピアノ協奏曲のプロトタイプになったという意味で、音楽史的にも重要な作品でございます。

この曲が一般によく知られている最大の原因が第1楽章の序奏にあることは、まず間違いないところでございましょう。一度耳にしたら生涯忘れられないほどのインパクトをもつ壮麗な序奏は、ボストンで初演された時から聴衆の心を掴み続けてきたものと思われます。
しかしながら、この曲の真価は序奏の終わったところから発揮されており、第1楽章の主部から終楽章のコーダに至るまでのすぐれた構成と豊かな楽想は、30歳代のチャイコフスキーの作品としては、第4交響曲にも比肩するとさえ思われます。とりわけ第1楽章の交響的協奏様式は特筆すべきで、真に傑作の名に値する音楽でございます。仮に序奏がなかったとしても、この曲が名曲であることは間違いないところでございます。

けれども、序奏がなかったならば、この曲がこれほど有名になってはいなかっただろうことも想像に難くありません。
チャイコフスキーは、おそらくは論理性よりも本能によって、聴衆の心を有無をいわせず鷲掴みにする壮麗な序奏を着想したのでありましょう。実際、序奏の主要主題はその後2度と現れることがなく、第1楽章の主部の展開にはなんら寄与しておりません。
これはまったくの妄想に過ぎませんが、ひょっとすると、チャイコフスキーは協奏曲とはまるっきり関わりのないところで、この序奏の主題を着想したのかもしれません。そして協奏曲を書くにあたり、本来無関係なはずのこの旋律を、まず聴衆の気持ちを確実に掴むための素材として利用したのではないでしょうか。

それはともかく、この曲は古今のピアノ協奏曲中、もっとも有名な作品のひとつとして今日に至るまで愛好されております。
ある程度クラシック音楽に親しむと、この曲はいい加減「耳にタコ」という感じになって聴く機会が減ってくるのではないかと存じますが、あらためて細部まで見てみますと、やはり紛れもない「大傑作」と実感せずにはいられません。

ここで取り上げております2台ピアノ用のスコアは、チャイコフスキー自身による編曲でございます。
ピアノのみで演奏されたピアノ協奏曲第1番、お楽しみいただければ幸甚でございます。


ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23・全曲連続再生 

第1楽章/アンダンテ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ ― アレグロ・コン・スピリート 
   (I. Andante non troppo e molto maestoso - Allegro con spirito) 
第2楽章/アンダンティーノ・センプリーチェ(II. Andantino semplice) 
第3楽章/アレグロ・コン・フォーコ(III. Allegro con fuoco) 

◇「あそびのピアノ連弾」に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:P. I. チャイコフスキー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma