ストラヴィンスキー/春の祭典
(Stravinsky : The Rite of Spring)

1910年の「火の鳥」の成功によって、翌1911年度のバレエ・リュス上演作品を再び依頼されたストラヴィンスキーは、太古の生贄の儀式をテーマにした着想をディアギレフに提示しました。
ディアギレフもこのアイディアに同意し、翌年度の新作バレエの方向性は定まりましたが、それとは別に、この頃ストラヴィンスキーが作曲していた「ピアノ協奏曲的」な作品を聴いたディアギレフはこれをバレエ音楽にすることを要請。この結果、翌年度の新作バレエは「ペトルーシュカ」に決定されます。

1911年6月に初演された「ペトルーシュカ」は無事成功し、ストラヴィンスキーの名声はさらに向上。この勢いのまま、ストラヴィンスキーは留保していた「生贄の儀式」の音楽に本格的に取り組みます。
1912年の1月には、全曲のスケッチが完了。
当初「大いなる犠牲」としていた曲名は「春の祭典」となり、ストラヴィンスキーはその年の初演を希望しますが、ディアギレフはこの作品のオーケストレーションを大規模にすることを求め、上演は1913年度に持ち越されます。ストラヴィンスキーはこの要望に応え、作品は五管編成という大編成となり、作曲は1913年に入るまで続きました。

初演は1913年5月29日。新築のシャンゼリゼ劇場には、サン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルのような著名人も列席し、パリ楽壇のバレエ・リュスに対する関心の大きさが窺えます。
ピエール・モントゥー指揮、ニジンスキー振付による「春の祭典」の初演は、有名なスキャンダルとなりました。音楽が進むにつれて観客が二派にわかれて罵り合い、殴り合いを始め、ついには客席の騒音で音楽が聴こえなくなるという有様。この大騒ぎは新聞でも報じられ、結果的に「春の祭典」を大々的に宣伝することになり、ストラヴィンスキーの名も大いに知れ渡ることになります。
翌1914年、モントゥーの指揮で演奏会形式で演奏された「春の祭典」は大成功を収め、やがて20世紀を代表する作品のひとつとして認知されるに至ります。

全曲は以下のように2部から成り、太古の異教的世界観で構築された生贄の祭典を表現しております。

第1部「大地の礼賛」
序奏/春の兆し/誘拐/春のロンド/敵の踊り/長老の行進/長老の大地への口づけ/大地の踊り
第2部「生贄の儀式」
序奏/乙女の神秘的な踊り/選ばれた生贄への賛美/祖先の召還/祖先の儀式/選ばれた生贄の踊り

非常にリズミックな書法、随所に現れる複調、不協和音の多用など、当時としてはきわめて尖鋭な手法が強調されがちですが、19世紀ロシア国民楽派的音楽の最終形態と見ることも可能で、例えばほぼ同時期のシェーンベルクの無調作品などよりはるかに聴きやすいと思えます。

「あそびの音楽館」では、全曲をストラヴィンスキー自身がピアノ連弾用に編曲したものを公開することにいたしました。
お楽しみいただければ幸甚でございます。


春の祭典・全曲連続再生 

第1部:大地の礼賛(Part I : The Adoration of the Earth) 
第2部:生贄の儀式(Part II : The Sacrifice) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇編曲:I. ストラヴィンスキー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録音:jimma