ストラヴィンスキー/火の鳥 (Igor Stravinsky : The Firebird) |
20世紀最大の作曲家の一人とされるストラヴィンスキーは、60年以上にわたる創作期において、3つの大きく異なる作風を見せております。 最初の時期は「原始主義」といわれ、デビューから1920年頃までのおよそ15年間ほど。次の「新古典主義」の時代は1950年頃までのおよそ30年間。最後の「十二音の時代」は1965年頃までの約15年間。 一人の作曲家が生涯の間に作風を変遷させるのは珍しいことではありませんが、ストラヴィンスキーの場合はそれまでのこの作曲家に対するイメージが激変するほどの破壊力があり、「カメレオン作曲家」とあだ名されるほどでございます。 ストラヴィンスキーの作品中、もっともよく知られているのは「原始主義」の時代のもの、とりわけ「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の3作と申せましょう。
「火の鳥」はストラヴィンスキーの名を世界的にした最初の作品でございます。1909年、ストラヴィンスキー27歳の年の作曲で、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の委嘱によって書かれました。
ディアギレフが次のシーズンの新作として選んだのは2つのロシア民話、火の鳥と魔王カスチェイの物語を結び付けた題材で、当初はチェレプニン(Nikolai Tcherepnin;1873〜1945)が作曲を担当するはずでした。ところが理由は伝わっておりませんが、チェレプニンが辞退したため、ディアギレフはリャードフ(Anatoly Lyadov;1855〜1914)に話を持ち込みます。しかしこれもうまくいかず、グラズノフ(Aleksandr Glazunov;1865〜1936)やソコロフ(Nikolay Sokolov;1859〜1922)にも依頼したらしいのです。
ディアギレフの依頼を受けたストラヴィンスキーは、半年ほどで曲を書き上げます。そして新作バレエ「火の鳥」は1910年の6月にパリ・オペラ座で初演され、大成功を収めました。 「原始主義」といわれる初期のストラヴィンスキーの音楽は、19世紀ロシア国民楽派の延長線上にあり、そこに斬新なリズムや和声、近代的な作曲技法を盛り込んだものということができましょう。その頂点は「春の祭典」に体現されておりますが、「火の鳥」にもロシア国民楽派の基盤の上に築かれた音楽の新鮮さは明らかで、今日まで人気が持続しておりますのも当然という気がいたします。
「火の鳥」は22曲から成っておりますが、それらは切れ目なしに演奏されます。 |