歌曲集「死の歌と踊り」
(Songs and Dances of Death, The Cycle of Songs)

ロシア近代音楽の祖はいうまでもなくグリンカでございますが、グリンカより一世代後のダルゴムィシスキーの存在がなければ、チャイコフスキーは現れてもムソルグスキーの登場はなかったかもしれません。
グリンカが西欧古典音楽の器にロシアの精神を盛り込んだとするなら、ダルゴムィシスキーはロシアの精神を生の形で表現しようとした人でした。今日、残された作品はほとんど演奏されることのないダルゴムィシスキーではありますが、この人の目指した方向性はムソルグスキーに受け継がれ、大きく花開いたのでございます。
ダルゴムィシスキーは、自らの音楽の表現様式としてデクラメーションというものを創始いたしました。これはロシア語のイントネーションから旋律を生み出す方法で、既成の西欧音楽の型にとらわれず、ロシア語の表現に最も適した旋律線を創造する試みでございます。ダルゴムィシスキー自身は早世したため、その技法と精神を継承したムソルグスキーによって、デクラメーションは完成の域に達したのでございました。

ムソルグスキーは当時の社会の諸問題に常に関心を示し、現実生活との関わりで音楽を考えました。その結果、ムソルグスキーの主要作品のほとんどが言葉を伴うものとなったのでございます。デクラメーションは、このようなムソルグスキーの音楽表現にとって、強力無比の武器となりました。
ところがその一方で、既成の音楽概念からかけ離れたムソルグスキーの音楽は次第に理解者を失い、孤独を紛らすために酒に溺れ、ついには友人たちからも理解されないまま陸軍病院で生涯を終えるという悲惨な結末を作曲者にもたらしたのでございます。

歌曲集「死の歌と踊り」は、ムソルグスキーの創作力が頂点にあった1870年代の作でございます。この時期には歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」、歌曲集「子供部屋」、ピアノ曲「展覧会の絵」など、傑作の数々が書かれております。
友人のゴレニシチェフ=クトゥーゾフの詩に作曲された「死の歌と踊り」は、「子供部屋」「日の光もなく」と並んでムソルグスキーの歌曲の頂点を成すもので、ロシア歌曲中、最高の傑作のひとつと申しても過言ではございません。

全曲は4曲から成り、第1曲「子守唄」は赤ん坊の死、第2曲「セレナーデ」はうら若い乙女の死、第3曲「トレパーク」は老いた農夫の死、そして最後の「司令官」では戦争による大量死と、さまざまな局面における「死」が描かれております。
第1曲から第3曲までは1875年、第4曲は1877年に作曲されました。ムソルグスキー36歳から38歳にかけての時期でございます。

「あそびの音楽館」版「死の歌と踊り」は、ヴァイオリンとピアノのために編曲されております。そのため、声楽の部分に多少のアレンジを加えておりますことを、あらかじめご了承願いますm(__)m

なお、歌の内容につきましてはそれぞれの曲の「歌詞」にございますが、日本語の訳はJun-Tがロシア語の英訳から無理にひねり出しております。原作の雰囲気を損なうような誤訳が多々あるとは思いますが、その辺はご勘弁くださいませm(__)m


 歌曲集「死の歌と踊り」 全曲連続再生 

 子守唄 (Lullaby) 歌 詞
 セレナーデ (Serenade) 歌 詞
 トレパーク (Trepak) 歌 詞
 司令官 (Commander-In-Chief) 歌 詞

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary
◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma