シベリウス/レミンカイネン組曲 作品22
(Jean Sibelius : Lemminkäinen, Op.22)

Jean Sibelius 4つの交響詩からなる「レミンカイネン組曲」は、「クレルヴォ交響曲」に次ぐ初期シベリウス作品中の大作でございます。

1892年の「クレルヴォ」の成功のあと、シベリウスはフィンランドの国民的叙事詩「カレワラ」に基くオペラを計画し、ワイナモイネン(ワイナミョイネン)を主人公とする「船の建造」に着手します。しかしながら、自らの音楽性がオペラに向かないことを痛感して計画は断念、新たに「カレワラ」に題材を取った交響詩集の創作に取り組むことにいたしました。

1894年と95年にヘルシンキで演奏されたベルリオーズの「ファウストの劫罰」がシベリウスに強い印象を与えたようでございます。後にシベリウスは「最初の楽章はソナタ形式をとっている。全曲の構想はベルリオーズの標題交響曲に触発されたものだ」と語っております。
オペラ「船の建造」の序曲として構想された音楽は、「トゥオネラの白鳥」の原型として生まれ変わりました。同時に、レミンカイネン(レンミンカイネン)の冒険をテーマとする3つの交響詩(楽章)、「レミンカイネンとサーリの乙女たち」、「トゥオネラのレミンカイネン」、「レミンカイネンの帰郷」も書き進められ、4曲すべてが1895年、シベリウス30歳の年に完成されます。

初演は1896年4月13日、「4つの伝説」と題されて、ヘルシンキでシベリウス自身の指揮によって行われました。当時フィンランドで著名な作曲家だったオスカル・メリカント(Oskar Merikanto;1868〜1924)はこの曲のもつフィンランド的大気を絶賛し、作品そのものはある程度の好評をもって迎えられましたが、シベリウスは新作の出来に満足できず、1897年まで加筆修正を行い、その年の11月1日にあらためて自身の指揮によって再演いたしました。
ところが、この改訂版にもシベリウスは満足できず、作品の出版を差し止め、さらに改訂を重ねて、ようやく1900年になって「トゥオネラの白鳥」と「レミンカイネンの帰郷」の2曲の決定稿を書き上げました。しかし、残る2曲はこの時点でも改訂が終わらず、シベリウスは演奏も禁じてしまったため、「レミンカイネンとサーリの乙女たち」「トゥオネラのレミンカイネン」はお蔵入りとなってしまいました。
その一方で、他の2曲、とりわけ「トゥオネラの白鳥」は世界各国でしばしば演奏され、シベリウスの代表作のひとつとしての地位を確立いたします。
「レミンカイネンとサーリの乙女たち」「トゥオネラのレミンカイネン」が最終的に改訂されたのはなんと1939年、初稿から45年近くも経ってからのことでした。こうして4つの交響詩から成る「レミンカイネン組曲」は、ようやく全曲の完成を見たのでございます。

この作品の描くおおよそのストーリーは、以下のようなものでございます。

「カレワラ」最大のプレイボーイ、レミンカイネンは妻を得ようと美女の産地として名高いサーリに向かいます。その地でレミンカイネンは踊りの上手な乙女キュッリッキを見染め、拉致して妻といたします(「レミンカイネンとサーリの乙女たち」)。
レミンカイネンとキュッリッキは互いに「レミンカイネンは今後戦に出かけない、キュッリッキは村に行って人前で踊らない」との約束を交わしますが、レミンカイネンが留守の折、キュッリッキは誘惑に負けて村で踊ってしまいます。それを知ったレミンカイネンは激怒し、新たな妻を求めて旅に出ます。
次の標的はこの世で最高の美女とされるポヒョラの娘。レミンカイネンの求婚に対し、ポヒョラの支配者である魔女ロウヒは3つの要求を出しますが、そのひとつが「トゥオネラの白鳥を捕えること」というものでした。
トゥオネラの死の河に浮かぶ白鳥(「トゥオネラの白鳥」)。
レミンカイネンは勇んで死の国トゥオネラに旅立ちますが、毒矢に当たって河に落ち、死んでしまいます。さらにその死体は切断されてバラバラになり、哀れレミンカイネンはトゥオネラ河の藻屑と消えたのでした(「トゥオネラのレミンカイネン」)。
さて、レミンカイネンの母親は息子の危難を知り、ポヒョラに向かいます。ロウヒから息子がトゥオネラに行ったことを聞き出し、探し回った末、切り刻まれて水底に沈んだ息子の遺骸を見つけます。母親は、鍛冶の達人イルマリネンに頼んで特別な熊手を作ってもらい、それで川底を浚ってレミンカイネンの遺骸を集め、つなぎ合わせて元に戻します。
生き返ったレミンカイネンは、母親とともに故郷に帰って行くのでした(「レミンカイネンの帰郷」)。

4つの交響詩は、当初「レミンカイネンとサーリの乙女たち」「トゥオネラのレミンカイネン」「トゥオネラの白鳥」「レミンカイネンの帰郷」の順で構成されておりましたが、1947年に演奏順が変更されて、今日では「トゥオネラの白鳥」が2番目、「トゥオネラのレミンカイネン」が3番目となっております。全曲はスケルツォ楽章を含まない交響曲のような構成となっており(第1曲がソナタ形式で通常の交響曲の第1楽章、第2曲が緩徐楽章、第4曲はロンド・ソナタふうの行進曲で終楽章に相当)、実際に通して聴くと大きな交響曲を聴いたような気分になります。
シベリウス自身、晩年になってこう語っております。
「実際のところ、私の交響曲は9曲あるのです。『クレルヴォ』と『レミンカイネン』のいくつかの楽章は、純粋にソナタ形式で書かれているからです」

「レミンカイネンとサーリの乙女たち」は全曲中もっとも長大な音楽で、シベリウス自身が語っておりますように、大規模なソナタ形式で書かれております。北欧の冷たく澄みわたる大気を感じさせる導入部に続いて、サーリの乙女たちを象徴する舞曲ふうの第1主題、レミンカイネンの求愛の情を示すかのようなロマンティックで情熱的な第2主題が現れ、豊かな表現力をもって多彩に展開されます。再現部での第2主題の執拗な扱いと盛り上がりは極めて印象的でございます。
「トゥオネラの白鳥」は、シベリウスの交響詩の中でももっとも完成度の高いもののひとつと申せましょう。この曲とほぼ同時期に、ドビュッシーは「牧神の午後への前奏曲」を発表いたしましたが、「トゥオネラの白鳥」もまた、ドビュッシーとは異なる方向性ながら、シベリウスなりに新しい音楽世界を打ち出したものと申してよろしいのではないでしょうか。
「トゥオネラのレミンカイネン」は評価の難しい作品で、単独の交響詩としては失敗作なのではないかという気がいたしますが、組曲中の1曲としては存在価値があるように思われます。曲の大部分はトレモロ主体の不定形な音楽で、陰鬱で不気味なトゥオネラの光景をドラマティックに描いているようでございます。1895年当時の音楽としては、相当に前衛的に響いたのではないでしょうか。
「レミンカイネンの帰郷」は行進曲調の活気に満ちた音楽で、全曲を締めくくるには曲の規模がやや不足している気もいたしますが、単独の交響詩としては聴きやすく効果的な音楽だと思えます。

このたび、「あそびの音楽館」では、「レミンカイネン組曲」を2台のピアノ用にアレンジしてみました。
原曲の面白味はほとんど残っていない編曲ではございますが、暇つぶしにでもお聴きいただければ幸甚でございますm(__)m


レミンカイネン組曲 作品22・全曲連続再生 

レミンカイネンとサーリの乙女たち(Lemminkäinen and the Maidens of Saari) 
トゥオネラの白鳥(The Swan of Tuonela) 
トゥオネラのレミンカイネン(Lemminkäinen in Tuonela) 
レミンカイネンの帰郷(Lemminkäinen's Return) 

◇「シベリウス/交響詩集」に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma