チャイコフスキー/幻想序曲「ロミオとジュリエット」
(Romeo et Juliette, Ouverture-Fantasie)

1866年年3月24日の「サンクト・ペテルブルグ通報」に、ひとつの批評が掲載されました。筆者は築城学を専門とする陸軍軍人かつ作曲家のキュイで、これが音楽院を卒業したばかりのチャイコフスキーの作品に対する、初めての公的な批評でございます。
「音楽院の作曲家チャイコフスキー氏はまったく無能であり、音楽院的因習を打ち破るいかなる天分も示していない」という内容のこの批評以後、バラキレフのグループはチャイコフスキーの音楽を無視ないし蔑視して数年が過ぎました。
ところが1868年になって、この冷たい関係は一変いたします。
バラキレフのグループの一員、リムスキー=コルサコフの「セルビア幻想曲」がモスクワで演奏された折、当地の雑誌「アントラクト」誌上に匿名で次のような内容の批評が掲載されました。
「リムスキー=コルサコフ氏の『セルビア幻想曲』は色褪せ、個性がなく、生気もない」
この一文に対して、チャイコフスキーが猛然と反論したのでございます。

「リムスキー=コルサコフ氏の作品には、新人の芸術家には当然な技術的未熟さがあるにしても、彼は非常に大きな才能をもっている。リムスキー=コルサコフ氏がまだ青年であること、彼の前には洋々たる未来のあること、そして疑いもなく、このすばらしい天才がわが国の芸術をもっとも美しく飾る一人になることを、忘れないでいよう」

この反論はペテルブルグでも反響を呼び、バラキレフは感謝の手紙を寄こしました。そして、その年の4月にチャイコフスキーがペテルブルグを訪れた際、バラキレフのグループはチャイコフスキーを友人として迎え入れ、以後数年に亘る一種の盟友関係が築かれます。
この交友関係から、チャイコフスキーの標題音楽のいくつかが生まれました。「ロミオとジュリエット」「テンペスト」「マンフレッド交響曲」がそれでございます。

1869年の夏、バラキレフはモスクワを訪れ、チャイコフスキーと親しく交わりました。その際、バラキレフはシェイクスピアによる標題的交響作品のアイディアを示唆し、「ロミオとジュリエット」の序曲を書くようチャイコフスキーに勧めます。
バラキレフの熱意に動かされたチャイコフスキーは、10月から11月にかけて「ロミオとジュリエット」の序曲を作曲し、11月17日にスケッチをバラキレフに送りました。
作品を検討したバラキレフは、次のような内容を書き送ります。

「第1のテーマは全然私の好みに合いません。これは美しさも力も感じさせず、僧ロレンスの性格にしても、きちんとは描かれていません。あなたのテーマにあるのは、ハイドンの弦楽四重奏曲のテーマの性格であり、聴いているうちに酒が飲みたくなる町人音楽の天才の性格です。
最初の変ニ長調は少しじめじめしていますが、非常に美しく、2番目の変ニ長調は実に魅惑的です。私はこれを何度も弾いており、この曲を讃えて、あなたに強くキスをしたい気持ちでいっぱいです。ここには恋の陶酔と甘さがあります」

このときのスケッチをオーケストレーションしたものが、1869年版(初稿)の序曲「ロミオとジュリエット」でございます。
この版は、現在演奏されることはまずございません。バラキレフがコテンコテンにけなした「第1のテーマ」というのは、以下のようなものでございます。

アンダンテのテンポ、ホ長調で提示される導入部のこの主題は、現在の「ロミオとジュリエット」を知っている耳にとってはかなりに衝撃的と申しますか、ひどい違和感がございます。
チャイコフスキー自身、バラキレフの批判に同意し、翌1870年に導入部の主題をまるきり違うものに取り替えました。

アンダンテのテンポ、嬰へ短調で提示される今度の主題は、厳粛な雰囲気をもち、以前のものに比べて旋律線がシンプルで、動機的な展開に適応できる形態をもっております。
導入部の主題を変更したことで、ソナタ形式の主部にも大きな改変が必要になりましたが、チャイコフスキーは倦まずに改作に力を注ぎ、最初の版よりもはるかに統一性のある序曲に仕上げました。これが1870年版(第2稿)でございます。このとき、「序曲」という呼び名が「幻想序曲」に変更されております。
新しい「ロミオとジュリエット」は、バラキレフのグループに大きな称賛をもって迎えられました。
グループのスポークスマン、スターソフは仲間たちに向かってこう宣言いたしました。
「諸君は五人組だったが、いまや六人組になったのだ!」

ペテルブルグのバラキレフのグループとモスクワのチャイコフスキーの友好関係は1870年代の半ば過ぎまで続きますが、それぞれの音楽的方向性の違いもあり、やがて互いに疎遠になってまいります。
第4交響曲や「エウゲニ・オネーギン」に見られるような、より個人的・内面的な創作の道を進み始めたこの時期、チャイコフスキーは若い頃に書いた曲のいくつかに改訂の筆を入れ、作品に磨きをかけることを企てます。
第1交響曲、第2交響曲、ピアノ協奏曲第1番と並んで、「ロミオとジュリエット」にも円熟したプロの腕が加えられ、作品の統一的なイメージの明確化が図られました。
今日、一般に演奏される「ロミオとジュリエット」の1880年版(第3稿)はこうして生まれたのでございました。

1869年版と1880年版とを比較してみますと、まったく別の曲のような趣きがございます。導入部の主題が1870年版で差し替えられたことは前述いたしましたが、その他にも、最初の版では曲の展開にフーガなど対位法的な手法が多く取り入れられてかなり錯綜していた書法が、1880年版ではそうした対位法的手法を最小限に抑えたホモフォニックな書法となり、コーダに置かれていた葬送行進曲も惜しげもなく削除するなど、全般的に無駄や脇道を根こそぎ排除した緊密な構成に生まれ変わっていることがわかります。
実際、初稿と第3稿で共通に使われている主な素材は、アレグロの第1主題と変ニ長調の第2主題だけと申しても過言ではありません。

【第1主題】

【第2主題】

チャイコフスキー初期の代表作のひとつとされる「ロミオとジュリエット」ですが、もし最初に作曲されたままの姿であったなら、ひょっとすると今日のようなポピュラリティは獲得できなかったかもしれません。

さて、ここで取り上げました1880年版のピアノ連弾用編曲ですが、編曲者はなんとリムスキー=コルサコフの夫人、ナジェージダでございます。
リムスキー=コルサコフはチャイコフスキーとは1868年以来の友人でございまして、その関係もあってか、夫人もチャイコフスキーの作品を好み、「ロミオとジュリエット」の他に第2交響曲のフィナーレも連弾用に編曲しております。
ちなみに、リムスキー=コルサコフ夫人は達者なピアニストだったばかりでなく、女流作曲家としても活動していたということでございます。

※文中の引用文はイオシフ・フィリッポヴィチ・クーニン著、千種 堅訳「チャイコフスキー」から自由に借用したものでございますm(__)m
※曲名の「Romeo」の日本語表記ですが、「ロミオとジュリエット」にするか「ロメオとジュリエット」にするか、だいぶ迷いましたが、私個人としては「ロミオ」の方が馴染みがあり、また、映画(オリヴィア・ハッセー主演・英語)では「オ〜、ロ〜ミオ、ロ〜ミオ!」と「ロミオ」に近い発音で叫んでいるように聞こえましたので、「ロミオ」と表記させていただきましたm(__)m

(追 記)
1869年版「ロミオとジュリエット」をピアノ連弾にアレンジしてみました。
めったに演奏されることのない版ですが、1880年版と聴き比べてみることで、チャイコフスキーが最初にこの曲をどういうふうに構想し、また、最終的な形がいかに徹底的な推敲を経たものかを知ることのできる珍しい例ではないかと愚考いたします。
興味がおありの方にお聴きいただければ幸甚でございますm(__)m


幻想序曲「ロミオとジュリエット」(1880年版) 
 (Romeo et Juliette, Ouverture-Fantasie : Ver.1880, Arr. by Nadezhda Rimskaya-Korsakova)
序曲「ロミオとジュリエット」(1869年版) 
 (Romeo et Juliette, Ouverture : Ver.1869, Arr. by Jun-T)

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:N. リムスカヤ=コルサコヴァ ◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma