プーランク/ピアノ協奏曲 (F. Poulenc : Concerto pour Piano et Orchestre) |
第1次世界大戦の終わりに近い頃、フランスに新しい音楽の可能性を探るひとつのグループが現れます。 エリック・サティ(1866〜1925)を中心として「新しい若者のためのグループ」を結成していたルイ・デュレ(1888〜1979)、アルテュール・オネゲル(1892〜1955)、ジョルジュ・オーリック(1899〜1983)の3人に、パリ音楽院でオネゲルの同期生だったダリウス・ミヨー(1892〜1974)とジェルメーヌ・タイユフェール (1892〜1983、女性)が加わり、サティの「パラード」に感動したフランシス・プーランク(1899〜1963)が1917年に仲間入りしてできた若い6人の作曲家集団。 批評家のアンリ・コレは彼らを「フランス六人組」と名づけ、「ロシア五人組、フランス六人組、そしてエリック・サティ」と題する批評文を1920年に発表し、「フランス六人組」という呼称は急速に定着いたしました。 彼らはそれぞれのやり方で第1次大戦後のフランス音楽の発展に貢献いたしますが、およそ50年前の「ロシア五人組」と同様、各自の音楽的志向の相違により、グループとしての活動は数年で終わりました。そして、これまたロシアの先輩たちと同じく、音楽史的に見た業績の重要性の点では、全員を同等に考えることはできません。「ロシア五人組」の重要人物が極端にいえばボロディンとムソルグスキーの2人だけだったように、「フランス五人組」の場合にも、真に重要な作曲家はミヨー、オネゲル、プーランクの3人に絞られるかと存じます。
オーリックと並んで「フランス六人組」の最若年、プーランクはパリの裕福な家庭に生まれ、幼少期からピアノに親しみました。しかし、一般の音楽家のように音楽学校で学ぶことはありませんでした。
プーランクが「六人組」のメンバーとして活動を始めたのは1917年、18歳の年ですが、作曲家としての名声を確立した作品は1924年に初演されたバレエ「牝鹿」でした。その後、およそ40年近くにわたって、プーランクはフランス作曲界の第一線で活動を続けました。
オペラ・バレエからピアノの小品や歌曲、宗教音楽まで、幅広いジャンルの作品を残したプーランクですが、協奏曲に分類されるべき作品は5曲残しており、それらはすべて鍵盤楽器のために書かれております。
ここで使用しておりますのは、プーランク自身の手に成る2台ピアノ用のアレンジでございます。 |
ピアノ協奏曲・全曲連続再生 | ||
第1楽章/アレグレット(I. Allegretto) | ||
第2楽章/アンダンテ・コン・モート(II. Andante con moto) | ||
第3楽章/フランスふうロンド:プレスト・ジョコーソ (III. Rondeau a la Française : Presto giocoso) | ||
◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇ | ||
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | ||
◇編曲:F. プーランク ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録音:jimma |