尾高 尚忠/ピアノのためのソナチネ
(Hisatada Otaka : Sonatine for Piano)

明治維新から半世紀あまりが過ぎた1920年代頃から、世界的に活躍する日本人音楽家が現れてまいります。とりわけ指揮の分野では、山田耕筰(1886〜1965)を筆頭として、近衛秀麿(1898〜1973)、齋藤秀雄(1902〜1974)、大澤壽人(1907〜1953)、貴志康一(1909〜1937)、山田一雄(和男:1912〜1991)らは、早い時期からグローバルな指揮活動で名を成した人々でございます。
尾高尚忠もそのような指揮者たちのひとりでございます。ウィーン交響楽団やベルリン・フィルを指揮するなど、世界的に活躍したのはもちろん、オーケストラの作品のために授与される「尾高賞」にその名を遺している点、別格と申すべき人物です。

尾高尚忠はウィーンで学び、ヨーロッパで指揮者として活動したのち、帰国後の1940年からは新交響楽団の指揮者として旺盛な活動を行いました。
新交響楽団は1942年にNHK(当時は日本放送協会)を設立母体として日本交響楽団に改組されましたが、尾高尚忠は専任指揮者として精力的な活動を続け、1945年の終戦後もブラックといえるほどの状況の中で日本各地での演奏に尽力しました。この時期の演奏活動は本当に過酷だったようで、尾高自身が「強行軍的演奏旅行」と表現するほどで、こうした労働環境の中で蓄積した疲労がこの指揮者の脳を冒し、1951年の2月、わずか39歳という若さで脳炎によって急逝しました。
没後、NHKの労働待遇についての批判が起こり、これに応えてNHKは日本交響楽団を「NHK交響楽団」に改組するとともに、尾高尚忠を記念して「尾高賞」を設けました。「尾高賞」は日本の権威ある音楽賞として、今日まで続いております。

多忙な指揮活動の傍ら、尾高尚忠はその活動の全期間にわたって作曲にも注力しております。初期の頃の「日本組曲」(1936年)から遺作となったフルート協奏曲(1948年/1951年)まで、かなりの数の作品を残しておりますが、今日コンサートのレパートリーに残るものはほとんど皆無です。1948年作の交響曲(2楽章まで)とフルート協奏曲がごくたまに取り上げられる程度でしょうか。
作風は20世紀初めの新古典主義とフランス印象派を折衷したうえで日本的な味わいでまとめたようなもので、第2次大戦後の急進的な技法とは無縁のために、割を食って過小評価されがちな作曲家のひとりと申してもよいかもしれません。

「ピアノのためのソナチネ」は1940年、ヨーロッパから帰国した年の作品でございます。尾高は自作に作品番号を付けており、この曲は作品13となっておりますが、なぜか出版譜にはその番号がありません。
全曲は3つの楽章から成り、モーダル(とりわけ陰旋法ふう)な楽想に彩られた和風の響きに満ちております。
第1楽章はソナタ形式。ソナチネとはいいながら、規模の大きい展開部をもちます。
第2楽章は自由かつ即興的な緩徐楽章ですが、中盤は快速な走句的楽想で占められ、変化に富んでおります。
第3楽章は終楽章らしいトッカータふうの三部形式。中間部はテンポを落とした四声フーガになります。シンプルながら印象的な音楽です。

めったに演奏されることのなさそうな尾高尚忠のソネチネ、お楽しみいただければ幸甚でございます。


ピアノのためのソナチネ・全曲連続再生 

第1楽章/アレグレット・モデラート(I. Allegretto moderato) 
第2楽章/アダージョ・レチタティーヴォ(II. Adagio recitativo) 
第3楽章/アレグロ・ヴィヴァーチェ(III. Allegro vivace) 

◇あそびのエトセトラに戻ります◇
◇MIDIデータ作成:Jun-T  ◇録音:jimma