ニールセン/交響曲第5番 作品50 (Carl Nielsen : Symphony No.5, Op.50) |
人類最初の世界規模の戦争となった第1次世界大戦の渦中にあって、人間の精神と芸術の不滅を歌い上げた第4交響曲を作曲したニールセンは、世界大戦終結の2年後、1920年の秋から5番目の交響曲を書き始めます。 「私は大きなものを手がけていて、ものすごい勢いで書き進めています」とニールセンは手紙に書いております。ここに書かれた「大きなもの」というのがすなわち第5交響曲の第1楽章で、この楽章は翌1921年3月の初めに完成し、月末には浄書もでき上がりましたが、ここで作曲はいったん中断されます。 |
この時の心境を、ニールセンは以下のように手紙で述べております。 「交響曲を続けることは、ひとまず差し控えています。どうも私には、昔あった才能が枯れてきているのではないかということが、少なからず実感されるのです」 しかし、この年の9月の初めには気力を取り戻し、「私は中断していた交響曲を続ける気になっています」と書き、多大な努力を重ねた末、翌1922年1月15日に、ようやくこの交響曲は完成いたしました。 完成後間もない1月24日、第5交響曲はコペンハーゲンで、ニールセンの指揮で初演されます。脱稿してから10日も経たないうちに、よくもまあこんな曲を初演できるものだと思いますが、初演のためのリハーサルは5回にわたって入念に行われ、演奏会は成功裡に終わりました。 ニールセンは新聞のインタビューに答えて、この交響曲について大略以下のようなことを述べております。
「私の最初の交響曲は名無しです。が、その後は『四つの気質』『広がり』『不滅(滅ぼし得ざるもの)』という題名のある作品が続きます。しかしながら、これらは最終的に音楽そのものによってのみ表現されるものに、様々な名を付けたというに過ぎません。第5交響曲については、これを一語で表す言葉を見つけることができませんでした。そこで私は、この曲を無題で放り出すしかありません。…… 初演後、第5交響曲はドイツやスウェーデン、フランスでも演奏され、賛否両論を巻き起こしましたが、時代の流れの中で次第に聴衆の理解と賛同を得、現在ではニールセンの交響曲の最高傑作としての評価が確定していると申せましょう。 作曲者自身が述べているように、第5交響曲は2楽章構成で書かれております。2楽章の交響曲といえば、サン=サーンスの第3交響曲が有名ですが、サン=サーンスのものが従来の4楽章制を基本的に残したものであるのに対し、ニールセンの作品は発想がまったく異なっております。
第1楽章は2つの部分から成り、前半は緊張感に満ちたアレグロ、後半は穏やかなアダージョで始まり前半の要素を加えた強烈なクライマックスを築きます。
このたび、「あそびの音楽館」では、この交響曲を2台ピアノ八手連弾に編曲して公開することにいたしました。小太鼓はどうしてもピアノで代用できませんので、第1楽章には2台ピアノに小太鼓を付け加えております。 |