ムソルグスキー/展覧会の絵
(Mussorgsky : Tableaux d'une Exposition)

19世紀ロマン派の時代には多くのピアノのための名作が生まれましたが、ロシアでは意外にこのジャンルでの特筆すべき作品は品薄といわざるを得ません。
グリンカ、アントン・ルビンシテイン、キュイ、チャイコフスキーなど、比較的多くのピアノ曲を残した人も少なくはないのですが、際立って優れた作品は見当たりません。ピアノ曲で重要な仕事をしたスクリャービンやラフマニノフが活躍するのは、19世紀の終盤から20世紀にかけてのことになります。
そのようなわけで、19世紀ロシアのピアノ曲のジャンルにおいて、圧倒的にその存在感を示している名作といえば、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」一択と申してよろしいかと存じます。

ムソルグスキーがこの組曲を書いたのは1874年。オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の改訂版が初演され、ムソルグスキーの創作力が上り坂にあったこの時期、遅筆なこの作曲家にしては3週間足らずという驚異的なスピードで、一気に書き下ろされたようでございます。
ムソルグスキーにはヴィクトル・ハルトマンという建築家で画家でもある友人がおりましたが、この人が1873年に急死。共通の友人であったが批評家のスターソフが音頭をとって、ハルトマンの遺作展が1874年の2月から3月にかけて開催されました。この遺作展を観たムソルグスキーは、そこに展示されたさまざまな作品に強い霊感を受け、なにかに憑かれたような勢いで、短期間にこの組曲を書き上げたようでございます。
ところが、曲を書き上げると、ムソルグスキーはこの作品への興味を失ってしまったようなのでございます。その結果、曲は作曲者の生前には演奏されることもなく、1881年のムソルグスキーの死によって、完全に忘却される可能性すらありました。

作品を救ったのはリムスキー=コルサコフでございました。
亡友の遺品を整理していたリムスキー=コルサコフは、残された楽譜の中からこの組曲を発見したのです。作品の価値を認めたリムスキー=コルサコフは、原曲に改訂を加えた上で1886年に出版しました。
こうして、「展覧会の絵」は完成から12年目にして、ようやく世に出ることになりました。
とはいえ、当初はこの曲は一般に広く認知されていたわけではございません。
「展覧会の絵」の名がポピュラーになったのは、1922年にラヴェルが編曲したオーケストラ版がパリで初演されて以来のことになります。それ以前にも、この曲はオーケストラ用に編曲されて演奏されたこともありましたが、ラヴェルの洗練された絢爛たるオーケストレーションは他を圧しており、以後「展覧会の絵」といえばラヴェル版が真っ先に連想されるほど、管弦楽曲としてコンサートのレパートリーに定着いたしました。

オーケストラ版「展覧会の絵」の成功は、原曲のピアノ曲にも光を当てました。いろいろなピアニストがこの曲をプログラムに加えるようになりますが、当初はリムスキー=コルサコフ校訂の出版譜のみが演奏されました。これはリムスキー=コルサコフが当時の聴衆に受け入れられやすいように原曲に修正を加えたもので、一部にはムソルグスキー本来の持ち味を損なうものとの批判もございました。しかし、当時出版譜としてはこれしかなかったため、ラヴェルもこの楽譜に基づいてオーケストレーションしております。
1931年になると、モスクワ音楽院教授のパーヴェル・ラムがムソルグスキーの自筆譜を尊重した校訂版を出版し、この楽譜を演奏するピアニストも現れました。当初はリムスキー=コルサコフ版に拠るピアニストが圧倒的多数でしたが、時代とともにラム版の価値が認識され、今日ではむしろラム版の方が「原典版」として演奏機会が多いようでございます。

組曲「展覧会の絵」で音楽化されたハルトマンの絵は10点ですが、ムソルグスキーはこれらの曲を単に並べるだけでなく、「プロムナード」と題された音楽で各曲を接続しました。これはきわめてユニークな手法であり、ひとつの絵から次の絵へと移り歩くムソルグスキー自身を描くという、メタな構造を生み出しております。
各曲もグロテスクなもの、アルカイックなもの、ユーモラスなもの、壮大華麗なものなど、ムソルグスキーの多様な魅力が凝縮されたような音楽の集合体となっております。まさに傑作と呼ぶにふさわしい作品と申せましょう。

なお、各曲の曲名については、内容に応じていろいろな言語が用いられております。もしかするとハルトマンの絵の題名がそうなっていたのかもしれませんが、少しばかり興味を惹かれます。

「プロムナード」→フランス語
「ノーム」→フランス語
「古い城」→イタリア語
「テュイルリーの庭(遊びの後の子供たちの口げんか)」→フランス語
「牛車」→ポーランド語
「卵の殻をつけた雛の踊り」→ロシア語(リムスキー=コルサコフがフランス語を追加)
「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」→ドイツ語
「リモージュの市場」→フランス語
「地下墓地(ローマ時代の墓)」→ラテン語
「死せる言葉による死者への呼びかけ」→ラテン語
「鶏の足の上に建つ小屋(バーバ・ヤガー)」→ロシア語(リムスキー=コルサコフがフランス語を追加)
「キエフの大門」→ロシア語(リムスキー=コルサコフがフランス語を追加)

ここでは、ラムの校訂による楽譜を用いました。お楽しみいただければ幸甚でございます。


 展覧会の絵・全曲連続再生 

 プロムナード〜ノーム(Promenade - Gnomus) 
 プロムナード〜古い城(Promenade - Il vecchio castello) 
 プロムナード〜テュイルリーの庭(Promenade - Tuileries) 
 牛車〜プロムナード〜卵の殻をつけた雛の踊り 
  (Bydlo - Promenade - Ballet des poussins dans leurs coques)
 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ〜プロムナード 
  (Samuel Goldenberg und Schmuÿle - Promenade)
 リモージュの市場〜地下墓地〜死せる言葉による死者への呼びかけ 
  (Limoges - Catacombae - Cum mortuis in lingua mortua)
 鶏の足の上に建つ小屋〜キエフの大門 
  (La cabane sur des pattes de poule - La grande porte de Kiev)

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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma