マーラー/交響曲第9番 ニ長調
(Gustav Mahler : Symphony No.9 in D major)

1896年から1907年にかけて、マーラーは平均しておよそ2年に1曲というペースで交響曲を書き上げてまいりました。コンサートとオペラの指揮という多忙な生活の中でこの創作量は驚異的で、この10年あまりの間、いかにマーラーの創造熱が高まっていたかを示しております。
1907年に「これまで書いた中で最高の作品」と自負する第8交響曲を完成すると、次の作品としてマーラーは「大地の歌」に着手します。マーラーにとって、これは新しい交響曲という位置づけでしたが、「第9」という番号に不吉さを覚えていたマーラーは、「大地の歌」にはあえて番号を付けず、この曲は1908年に無事完成しました。
第8交響曲、「大地の歌」と、連続して声楽を中心とした作品を書き上げたマーラーは、今回は純粋なオーケストラのための曲として新しい交響曲に着手します。「大地の歌」で実質的に9番目の交響曲を無事クリアしたと考えたのか、マーラーはこの作品に「第9番」をナンバリングいたしました。
新作交響曲は1909年の夏、2か月ほどでスケッチを終了しました。この時期マーラーはオーストリアを去ってアメリカに移っておりましたが、第9交響曲は夏休みのヨーロッパ帰省中に書かれました。この曲の作曲について、マーラーは「大急ぎで書きなぐるようにして作った」というような意味の手紙を書いております。深読みすると、死の足音の接近を感じたマーラーが生きているうちに完成させたいと焦って筆を進めたとも思えますが、それよりも内奥から湧き出す怒涛のような音楽を無我夢中で楽譜に定着しようとするポジティヴな姿勢を感じさせます。
オーケストレーションはアメリカに戻ってからで、1910年4月にニューヨークで全曲が完成しました。
従来、マーラーは自作を自らの指揮で初演するのが通例でしたが、「大地の歌」と第9交響曲の2曲は、作曲者の生前に演奏されることはありませんでした。ちなみに第9交響曲に続いて書かれた第10交響曲は、第2楽章以降はスケッチのまま未完成で残され、結局マーラーの場合も第9が最後の交響曲となってしまいました。

全曲は4つの楽章で構成されております。通常の交響曲とは異なり、両端楽章が緩徐楽章、中間楽章が快速楽章となっており、とりわけ終楽章の人生に別れを告げるような風情は印象的でございます。

ここではマーラーの同時代人で編曲者として知られるヴェス(Josef Venantius Wöss:1863〜1943) の手に成るピアノ連弾用のスコアを用いました。
ピアノで演奏された第9交響曲、お楽しみいただければ幸甚でございます。


交響曲第9番 ニ長調・全曲連続再生 

第1楽章/アンダンテ・コモード(I. Andante comodo) 
第2楽章/緩やかなレントラーふうのテンポで。歩くように、きわめて粗野に。 
    (II. Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb.)
第3楽章/ロンド。ブルレスケ:アレグロ・アッサイ。きわめて反抗的に。 
    (III. Rondo. Burleske. Allegro assai. Sehr trotzig.)
第4楽章/アダージョ:きわめてゆっくりと、そしてぐっと感情を抑えるように。 
    (IV. Adagio : Sehr langsam und noch zurückhaltend)

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◇編 曲:J. ヴェス ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma