マーラー/交響曲第6番 イ短調
(Gustav Mahler : Symphony No.6 in A minor)

19世紀最後の10年間に、マーラーは第2(1894年)、第3(1896年)、第4(1900年)と、3つの交響曲を次々に書き上げてまいりました。ウィーン歌劇場の音楽監督、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として多忙を極める中でのその創作力には驚異的なものがございますが、20世紀に入ってマーラーの創作意欲はさらに燃焼度を増したようで、1901年から05年にかけて、第5から第7までのきわめて大規模な3つの交響曲が立て続けに作曲されます。
第1から第4までの交響曲はいずれも「さすらう若人の歌」や「子供の不思議な角笛」のような歌曲集との関連性が高く、実際に第2から第4までの3曲は声楽を含む楽章をもっており、伝統的な交響曲の編成からは大きく逸脱しておりましたが、第5から第7までの3曲では、マーラーは純粋に器楽のみによる作曲を試み、新しい境地を開いております。

これら3曲のうちでも、1904年に完成した第6はとりわけ伝統的な交響曲形式に沿った構成をとっていると申せましょう。第1楽章の提示部のリピート記号による反復など、第2交響曲以降のマーラー作品には見られない古風な手法でございます。また、全曲は古典的な4楽章制をとっており、アレグロ・ソナタを中心とする両端楽章、スケルツォと緩徐楽章による中間楽章という構成は、マーラーの全交響曲を見渡しても、現行の第1(初稿は5楽章制)とこの第6のわずか2曲のみでございます。
その一方で、音作りは古典派ふうどころではなく、大胆に不協和音を使用、場合によっては複調の手法も取り入れ、当時としては前衛的と受け取られたに違いない響きが随所に現れます。対位法を駆使しているのも大きな特徴で、上記の不協和音の多くもこうした線的書法から生み出されているとも申せましょう。

全4楽章の配列では、中間のスケルツォと緩徐楽章の演奏順が初演時から問題になっております。もともとのスコアでは第2楽章がスケルツォだったのを、マーラー自身の指揮では緩徐楽章が先になっていたということで、かなり長い間この演奏順は不確定だったようでございますが、今日では大部分の演奏でもとのスコア通りのスケルツォ→緩徐楽章という順番がとられております。

この曲は「悲劇的」というニックネームをもっておりますが、これはマーラー自身の命名によるものではないと考えられております。
ただし、妻のアルマによれば、マーラーは第4楽章で「運命の打撃に打ち倒される主人公を描いた」と伝えられるように、この曲の中心テーマは人生における闘争と挫折の表現にあると見られ、少なくとも「夜の歌」や「一千人の交響曲」に比較して、より音楽の内実に迫っているという点で、「悲劇的」というニックネームもあながち不当なものとはいえないかと存じます。

マーラー自身はこの交響曲をピアノのために編曲しておりませんが、ここではツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky : 1871〜1942)の手に成る四手連弾用のスコアを用いました。
アレクサンダー・ツェムリンスキーは初めブラームスによって高く評価され、のちにより急進的な作風に移行したオーストリアの作曲家・指揮者で、マーラーの妻となるアルマ・シントラーの最初の婚約者でもありました。ツェムリンスキーはシェーンベルクとともにマーラーの若い友人でしたが、アルマが自分の許を去ってマーラーと結婚した後も交友を絶たず、マーラーの音楽に理解を示し続けました。第6交響曲のピアノ連弾への編曲も、そうしたマーラー擁護のひとつの表れと申せましょう。
ピアノで演奏された第6交響曲、お楽しみいただければ幸甚でございます。


交響曲第6番 イ短調・全曲連続再生 

第1楽章/アレグロ・エネルジコ、マ・ノン・トロッポ 
    (I. Allegro energico, ma non troppo) 
第2楽章/スケルツォ:重々しく(II. Scherzo : Wuchtig) 
第3楽章/アンダンテ・モデラート(III. Andante moderato) 
第4楽章/フィナーレ:ソステヌート−アレグロ・エネルジコ 
    (IV. Finale : Sostenuto - Allegro moderato - Allegro energico) 

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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:A. ツェムリンスキー ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma