1895年、35歳の年に書き始めた第3交響曲で、マーラーは1892年に「子供の魔法の角笛」に基づいて作曲した歌曲「天上の生活」を終楽章に組み込むことを想定しておりました。けれども、翌年この構想は破棄され、別にこの歌曲を終楽章とする交響曲の作曲を考えます。
この作品は交響曲第4番「フモレスケ」と題され、以下のような6つの楽章で構成される予定でした。
第1楽章「永遠の現在としての世界」ト長調(管弦楽によるアレグロ)
第2楽章「この世の生活」変ホ長調(歌曲)
第3楽章「カリタス」ロ長調(管弦楽によるアダージョ)
第4楽章「朝の鐘」ヘ長調(児童合唱曲→第3交響曲に転用)
第5楽章「苦悩のない世界」ニ長調(管弦楽によるスケルツォ)
第6楽章「天上の生活」ト長調(歌曲)
マーラーは1897年にウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任、翌年にはウィーン・フィルの常任指揮者も兼務して多忙を極め、新しい交響曲の作曲からはしばし遠ざかります。
1899年の夏休み中の8月20日、マーラーは「フモレスケ」の構想中の「天上の生活」を次の交響曲の終楽章として着手。その年のうちに第1楽章と第2楽章を書き上げます。第1楽章は「フモレスケ」第1楽章を現実化したものでしたが、第2楽章は新たに書き起こされました。
翌1900年8月5日に第3楽章を擱筆。これは「フモレスケ」第3楽章に相当するもので、これによって第4交響曲は当初の構想とは異なり、外見上は伝統的な4楽章構成の交響曲として完成されました。
初演は1901年、ミュンヘンでマーラー自身の指揮によって行われましたが、前作の第2交響曲とは異なり、この初演は不評に終わったそうでございます。
今日では、第4交響曲は人気の高低は別として、比較的よく演奏される作品であろうと思われます。
大規模な声楽を含む第2や第8とは異なり、声楽を含むといっても終楽章にソプラノ独唱が要求されるだけであり、また、第2以降のような長大な演奏時間も必要とせず、第1交響曲とともにマーラー交響曲の中ではもっとも短い作品、という点も上演の容易さにつながっているのでしょう。
上述のように、この交響曲は4楽章で構成されておりますが、終楽章は歌曲の形をとり、内容的にはこれが全曲の中心楽章となっております。
第1楽章から第3楽章までは、一見すると伝統的なソナタ・アレグロ、スケルツォ、アダージョで書かれておりますが、その内実は極めてユニークで、他とは隔絶した独自性が見て取れることは明らかでございます。
ハイドンをもじったようなロココふうの楽想に聞こえる第1楽章にも、遅いテンポのスケルツォである第2楽章にも、当時としては耳慣れないと申してよい音の作りが随所に見られ、全曲の方向性もベートーヴェン以来の終楽章にかけて盛り上げていくというものとはまったく異なっており、第2交響曲に感激した聴衆の多くが戸惑ったのも無理からぬことと思われます。
実際のところ、全曲をこのような相対的に軽い終楽章で締めくくる、というのはマーラーの全交響曲の中でも唯一と申してよく、その点でも第4交響曲は独自の地位を占めていると申せましょう。
マーラー自身はこの交響曲をピアノのために編曲しておりませんが、ここではマーラーの同時代人で編曲者として知られるヴェス(Josef Venantius Wöss:1863〜1943) の手に成るピアノ連弾用のスコアを用いました。ヴェスはブルックナーやマーラーのいくつかの作品を連弾用に編曲しております。
ピアノで演奏された第4交響曲、お楽しみいただければ幸甚でございます。