マーラー/交響曲第1番 ニ長調 (Gustav Mahler : Symphony No.1 in D major) |
「巨人」の名で知られるマーラーの第1交響曲は、今日では第5交響曲と並んで、マーラーの交響曲ではもっとも演奏頻度の高い有名作でございます。 マーラーが第1交響曲に着手したのは1884年、24歳の年で、この時期マーラーは、オルミュッツ、カッセル、プラハ、ライプツィヒと各地の歌劇場を転々とし、この頃作曲された「さすらう若人の歌」に象徴されるような、放浪の指揮者生活を送っておりました。どの歌劇場でも人間関係がうまくいかないのが転職の主な理由ということで、この傾向は晩年にヨーロッパを去るまで続きます。
1888年、ブダペストの王立歌劇場の芸術監督に就任したマーラーは、この地で第1交響曲を完成し、翌1889年11月に自身の指揮で「2部から成る交響詩」として発表いたします。 1893年の10月、マーラーは改訂されたこの作品をハンブルクで再演いたします。この上演に際して、マーラーは曲名を「交響曲様式による音詩・巨人」とし、第1部を「青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど」、第2部を「人間喜劇」と題し、各楽章にも以下のような標題を付けました。
第1楽章:春、そして終わることなく
「巨人」というタイトルは、マーラーが愛読していたジャン・パウルの教養小説「巨人」に因むもののようで、今日この曲がそのニックネームで呼ばれるもととなりました。
ところで、1894年といえば、今日「復活」の名で知られる交響曲ハ短調が完成した年でございます。この年の12月、マーラーは1888年以来取り組んできたこのハ短調交響曲を書き上げ、1年後の1895年12月に作曲者自身の指揮で全曲を初演、大成功を収めます。
マーラーの最初の4つの交響曲は歌曲との強い関連がございますが、第1交響曲の場合、「さすらう若人の歌」の旋律が重要な主題として用いられており、この作品に自伝的要素を与えております。
マーラー自身はこの交響曲をピアノのために編曲しておりませんが、ここでは指揮者として高名だったワルター(Bruno Walter:1876〜1962)の手に成るピアノ連弾用のスコアを用いました。ワルターはマーラーの後輩で親友でもあり、マーラーの没後はその作品の普及にも尽力した人でした。ワルター指揮のマーラー交響曲のいくつかは、今日でも名盤として聴かれております。 ※ワルターの編曲では、第1楽章と第2楽章に加えられた反復指定がございません。ワルターが使用したスコアは1899年出版のものと思われますので、マーラーが書き入れた指定をわざわざ削除したのがどういう理由によるものかわかりかねます。ここでは、ワルターの楽譜にはございませんが、上記部分は反復指定があるものとして演奏しておりますことをお断りしておきます。 |
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◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | |
◇編 曲:B. ワルター ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |