平尾 貴四男/オーボエとピアノのためのソナタ
(Kishio Hirao : Sonate pour hautbois et piano)

明治維新以来、日本は急速な近代化に伴い、音楽の面でもヨーロッパの手法を導入してまいりました。
これはまず実用音楽(軍楽隊)で成果を見せ、明治維新から30年たらずで瀬戸口藤吉(1868〜1941)の「軍艦行進曲」が生まれたのでございますが、いわゆる芸術音楽の面では、19世紀末から20世紀初頭の滝廉太郎(1879〜1903)の若干の歌曲とピアノ曲を除きますと、山田耕筰(1886〜1965)の出現までの日本のクラシック音楽界は揺籃期というべき状態でございました。
山田耕筰は今日では童謡や歌曲で知られておりますが、実は日本最初の本格的なクラシック音楽家でございまして、1912年には日本人初の交響曲も作曲し、指揮者としても世界的に活動いたしました。
また、山田耕筰と同時代の信時潔(1887〜1965)も地味ながら手堅い技術で本格的な西洋音楽の創作に努め、教育者としても大きな足跡を残しております。
このような土台のもとに、20世紀生まれの日本人作曲家たちの活動が花開いたのでございます。

1900年前後の数年間に生まれた作曲家を、思いつくままに拾ってみますと、箕作秋吉(1895〜1975)、菅原明朗(1897〜1988)、近衛秀麿(1898〜1973)、清瀬保二(1900〜1981)、大木正夫(1901〜1971)、諸井三郎(1903〜1977)、橋本國彦(1904〜1949)、池内友次郎(1906〜1991)、金井喜久子(1906〜1986)、深井史郎(1907〜1959)、松平頼則(1907〜2001)など、たちまち十人を超える名前が挙がります。
これらの人々の多彩な作品を考えますと、ヨーロッパ音楽受容後半世紀にして日本のクラシック音楽界は揺籃期を抜け出し、作曲家の層もようやく厚くなってきたことが実感されるのでございます。

平尾貴四男は20世紀初頭生まれの作曲家の世代に属し、いわば日本のクラシック音楽の思春期ともいえる時代に活動した人でございます。
東京に生まれ、フランスに留学してスコラ・カントゥルムとセザール・フランク音楽学校で作曲を学び、46歳で亡くなるまでに歌曲・室内楽と少数の管弦楽曲を残しております。
作風は日本的情緒をフランスふうの書法で表現するというもので、派手さはございませんが温和で詩情に満ちた品格をもっております。

ここで取り上げました「オーボエとピアノのためのソナタ」は1951年の作曲で、平尾貴四男の最後の作品でございます。
全体は3つの楽章から成り、落ち着いた第1楽章、ややユーモラスな第2楽章、そして快速調の第3楽章で構成されております。
作曲者自身はこの曲について、以下のように書いております。

「木管の中で最も表現能力の豊かな楽器の一つであるオーボー(オーボエ)は、牧歌的な快活さ、淡い悲哀、劇的な苦悩、意地悪い皮肉、悪魔的な嘲笑などの様々な情緒を表すことができるとケックラン(シャルル・ケックラン、フランスの作曲家。1867〜1950)は書いている。
私はこのソナタの中で、それらを探求しようとした」

(文中敬称略)

 オーボエとピアノのためのソナタ・全曲連続再生 

 第1楽章:モデラート (I. Moderato) 
 第2楽章:アレグレット (II. Allegretto) 
 第3楽章:アレグロ (III. Allegro) 

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◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇編 曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma