グラズノフ/交響曲第4番 変ホ長調 作品48 (A. K. Glazunov : Symphony No.4 in E flat major, Op.48) |
1865年は、奇しくも4人もの著名作曲家の生まれた年でございます。その4人とは、デンマークのニールセン(6月9日生)、ロシアのグラズノフ(8月10日生)、フランスのデュカ(デュカス、10月10日生)、フィンランドのシベリウス(12月8日生)ですが、極度の寡作家でございましたデュカを除き、残る3人が3人とも交響曲作家として名を成したのも興味深い共通点と申せましょう。 この4人が活動した19世紀末から20世紀初頭は、後期ロマン派の爛熟と崩壊、印象派や無調派をはじめとする新音楽の台頭など、音楽史上の激動期にあたります。 |
そのような時代に生きた交響曲作家として、ニールセンもシベリウスも時とともに自己のスタイルをそれぞれのやり方で変革していった作曲家でありました。彼らの初期の交響曲と晩期のそれを比べてみれば、その距離の大きさに自らの殻を破りつつ成長していった跡が見て取れると思われます。
ところが、同じ交響曲作家でも、グラズノフの場合、そのような大きな自己変革は認められません。もちろん、最初期の作品と後期のそれとの間に円熟度の相違はございますが、ニールセンやシベリウスに比べると、その振幅ははるかに小さいといわざるを得ないのでございます。
グラズノフは、音楽史上に時折現れる「神童」のひとりでございます。
少年時代に華々しくデビューしたグラズノフは、その後も順風満帆の創作活動を続け、19世紀の終わりまでに、6曲の交響曲、2曲のバレエをはじめとする数多くの作品を発表し、ロシアを代表する大作曲家としての名を、ヨーロッパばかりでなくアメリカにまで轟かせました。しかもこの時点でグラズノフはまだ35歳、年齢的にはようやく青年期が終わり、壮年期の入口に足を踏み入れたばかりに過ぎません。
さて、第4交響曲は1893年、グラズノフ28歳の年の作品でございます。
第1楽章は序奏のついたソナタ形式ですが、楽章全体にわたって序奏の憂愁に満ちた雰囲気が支配的で、ちょっと緩徐楽章を聴いたような印象が残ります。この曲に緩徐楽章が存在しないのも、もしかしたらこのような冒頭楽章の性格によるのかもしれません。
グラズノフはロシアの交響曲史上、ボロディン、チャイコフスキーの後を継ぎ、19世紀の終わりから20世紀初頭のロシア交響曲の風景を豊かにした人ではございますが、その穏健でややインパクトに欠ける作風のために、今日では大して重要視されておりません。 |
交響曲第4番変ホ長調 作品48・全曲連続再生 | ||
第1楽章:アンダンテ ― アレグロ・モデラート(I. Andante - Allegro moderato) | ||
第2楽章:スケルツォ;アレグロ・ヴィヴァーチェ(II. Scherzo : Allegro vivace) | ||
第3楽章:アンダンテ ― アレグロ(III. Andante - Allegro) | ||
◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇ | ||
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集様 | ||
◇編 曲:A. グラズノフ ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma |