フランク/ヴァイオリン・ソナタ イ長調
(C. Franck : Violin Sonata in A major)

1841年から42年にかけて作曲された3曲のピアノ三重奏曲でフランス楽壇にデビューした20歳のフランク。この3つの作品は当時リストに注目されたものの、その後作曲家としては鳴かず飛ばずの状況が40年近くも続きます。
この時代、フランスではオペラ・バレエに代表される舞台音楽、あるいは歌曲やピアノ曲のようなサロン音楽の繁栄に対し、交響曲や室内楽など、いわば絶対音楽のジャンルはきわめて不振で、わずかにサン=サーンスのような人が孤軍奮闘している、という状態でした。フランクはピアニスト・オルガニストとしては一定の評価を受けておりましたが、その地味で生真面目な作風から見ても、作品が広く受け入れられるには最悪の環境であったと申してよろしいでしょう。
状況に変化が現れるのは1870年の普仏戦争の後、サン=サーンスを発起人のひとりとする国民音楽協会の発足(1871年)でございます。国民音楽協会にはフランクをはじめマスネ、ビゼー、ラロ、フォーレ、デュパルクなど、有力な作曲家が多数参加し、オペラなどの舞台作品とは異なる器楽ジャンルの作品を積極的に取り上げていくという機運が醸成されました。
1870年代には協会の演奏会でフランクのピアノ三重奏曲が蘇演され、また、サン=サーンスの交響詩(「オンファールの糸車」「ファエトン」)、フォーレの第1ヴァイオリン・ソナタが初演されるなど、それまで閑却されていたフランス器楽音楽の興隆が始まるのでございます。

こうした時流の変化が追い風となったのでしょうか、長期にわたって宗教的オラトリオとオルガン曲ばかりを、それも断続的に時折発表するだけだったフランクの創作活動に火が点きます。
1876年の交響詩「アイオリスの人々」を皮切りに、ピアノ五重奏曲(1879年作)、交響詩「呪われた狩人」(1882年作)、「前奏曲、コラールとフーガ」(1884年作)、交響的変奏曲(1885年作)、ヴァイオリン・ソナタ(1886年作)、「前奏曲、アリアと終曲」(1887年作)、交響詩「プシシェ」(1888年作)、交響曲(1888年作)、弦楽四重奏曲(1889年作)というように、およそ10年間にわたって傑作・佳作を次々に生み出します。実際、フランクの大作曲家としての名声は、ほぼこの時期に書かれた作品で決定的になったと申して過言ではありません。

さて、フランクの多楽章制室内楽作品は全部で6曲ございますが、3つのピアノ三重奏曲は最初期のデビュー作であり、今日話題になることはほぼありません。
残り3曲はいずれもそのジャンルにおける傑作で、とりわけヴァイオリン・ソナタは古今の同種の作品中もっとも優れた曲のひとつとして広く親しまれております。

ヴァイオリン・ソナタは当時盛名を馳せていたイザイ(Eugéne-Auguste Ysaÿe;1858〜1931)の結婚祝いとして作曲されました。イザイはフランクと同じベルギー出身で、個人的な交友関係があったのです。曲はイザイに献呈され、1886年12月にブリュッセルで初演されました。

全曲は4つの楽章で構成されておりますが、その構成原理は古典的なそれとは異なり、最盛期のフランクのもっとも自然かつ高度な循環形式に拠っております。
第1楽章は比較的短く、全曲の前奏曲的意味合いをもち、循環主題が提示されます。
第2楽章は快速な楽章ですが、スケルツォではなく、明らかに通常のソナタの冒頭楽章に相当するソナタ形式の音楽です。ここでは新たな循環主題が提示されます。
第3楽章は自由な形式で書かれた幻想的な音楽で、先行2楽章で提示された循環主題、さらに新しい循環主題が主要な楽想となっております。
第4楽章はきわめて印象的なカノンによるロンド・ソナタ形式の音楽で、天上的で魅力的なカノン主題、効果的に織り込まれる循環主題によって見事に構成され、フランクの循環形式のひとつの頂点を示しております。

ここでは、この作品をピアノ連弾に編曲して演奏してみました。ピアノのみで演奏されたヴァイオリン・ソナタ、お楽しみいただければ幸甚です。


ヴァイオリン・ソナタ イ長調・全曲連続再生 

 第1楽章/アレグレット・ベン・モデラート(I. Allegretto ben moderato) 
 第2楽章/アレグロ(II. Allegro) 
 第3楽章/レチタティーヴォ − ファンタジア:ベン・モデラート 
     (III. Recitativo - Fantasia : Ben moderato) 
 第4楽章/アレグレット・ポーコ・モッソ(IV. Allegretto poco mosso) 

◇「あそびのピアノ連弾」に戻ります◇
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma