フランク/交響曲 ニ短調
(César Franck : Symphony in D minor)

19世紀のフランス音楽は、前半にベルリオーズというオーケストラの巨人が現れたにもかかわらず、交響曲の方面では極めて不振でございました。同時代のドイツ・オーストリアでメンデルスゾーン、シューマン、ブルックナー、ブラームスなどが交響曲に佳作・傑作を書いていたのに比べて、ずいぶん対照的なお国柄でございます。
そのフランスでも、19世紀の後半になると、ドイツに負けない交響曲を生み出そうという気運が盛り上がってまいります。
そのきっかけのひとつとなったのは、1870年の普仏戦争の敗北でございました。戦争に敗れたことでドイツに対する対抗意識が高まり、1871年にはサン=サーンスらを中心に、「フランス国民音楽協会」が結成されます。この協会はフランス人によるフランス音楽の芸術的向上を目的とし、それまでオペラ・バレエ一辺倒だったフランス音楽を、格調高い芸術音楽に高めようとするものでした。
この協会の活動の中から、交響曲や室内楽曲など、シリアスなジャンルの作品が生み出されることになります。

フランクはベルギー生まれですが、フランスに帰化し、サン=サーンス、フォーレなどとともに「フランス国民音楽協会」の設立に参加して、フランス音楽の発展に尽くした人でございます。
少年時代に神童ピアニストとしてデビューしたものの、作曲に主軸を移してからのフランクは、主として教会オルガニスト・音楽教師として地味な人生を送りました。フランク門下からはショーソン、デュパルク、ダンディ、ルクーなど有能な弟子が輩出しましたが、フランク自身は作曲家としてはなかなか世間的に認められず、ようやく「ヴァイオリン・ソナタ」で注目を集めたのは、なんと63歳になってからでございました。
しかしながら、1880年頃を境にフランクの創作力は目覚しい高まりを見せており、晩年の約10年間に、それまでの遅れを取り戻そうとするかのように、フランクは傑作を次々に発表いたします。前記の「ヴァイオリン・ソナタ」をはじめ、ピアノ五重奏曲、「前奏曲、コラールとフーガ」、「前奏曲、アリアと終曲」、「交響的変奏曲」など、重量感のある傑作が続々と生み出され、フランクの「傑作の森」というべき作品群を形作ります。

交響曲ニ短調は最晩年の弦楽四重奏曲とともに、フランクの創作生活の悼尾を飾る傑作でございます。作曲は1886年から1888年、フランク63歳から65歳のおよそ2年間に亘っております。
ちなみに、作曲の始められた1886年は、サン=サーンスの交響曲第3番が生まれた年でございまして、この時期はベルリオーズの「幻想交響曲」以来、ほとんど半世紀ぶりにフランスの交響曲が息を吹き返した画期と申せましょう。このとき以降、ショーソン、デュカ、ルーセル、オネゲルと、フランスの作曲家たちはその優れた作品によって交響曲の歴史を飾ることになるのでございます。

さて、ニ短調交響曲は3つの楽章で構成されております。ドイツ系の交響曲が4楽章でできているのに対し、フランス系の交響曲は、なぜか3楽章構成のものが多いような気がいたします。
フランクの多楽章作品の大きな特徴は「循環形式」でございまして、この交響曲もその例に漏れません。「循環形式」と申しますのは、全楽章を通じて特定の旋律が登場し、全曲を有機的に統一する手法でございますが、ニ短調交響曲では以下の3つの循環主題が用いられております。

◆循環主題A◆

◆循環主題B◆

◆循環主題C◆

循環主題Aは第1楽章の導入部、Bは提示部のコデッタ、Cは第2楽章にそれぞれ現れ、その楽章の主要主題となっておりますが、これらはすべて第3楽章にも登場し、全曲を主題の面から統一する役割も担っております。
暗く厳粛な第1楽章、詠嘆的な第2楽章、賛歌ふうの第3楽章と、全体は「暗→明」の方向性をもっており、その点ではベートーヴェン的と申してもよいかもしれません。
一見するとフランスの交響曲としては華麗さやラテン的な典雅さに乏しく、ほとんどゲルマン的な音楽のようでございますが、随所にいかにもフランクらしい微妙な和声進行が見られ、味わい深い傑作交響曲と申せましょう。

なお、この連弾用の編曲はフランク自身の手に成るものでございます。


交響曲 ニ短調・全曲連続再生  

第1楽章:レント―アレグロ・ノン・トロッポ (I. Lento - Allegro non troppo) 
第2楽章:アレグレット (II. Allegretto) 
第3楽章:アレグロ・ノン・トロッポ (III. Allegro non troppo) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇背景画像提供:フリー写真素材Canary様
◇編曲:C. フランク ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma