フランク/弦楽四重奏曲 ニ長調
(C. Franck : String Quartet in D major)

ベートーヴェン以後、弦楽四重奏曲は室内楽の王者の地位を失っておりました。実際には、この時期多くの弦楽四重奏曲が書かれてはいたのですが、このジャンルを輝かせるような傑作が少なかったのでございます。19世紀ロマン派の時代、ピアノが楽器として完成され、ピアノを含む室内楽の傑作が多く出現したこともひとつの理由でしょうが、やはりベートーヴェンの弦楽四重奏曲の存在感が大きく、大作曲家にとってこのジャンルは鬼門のように受け取られていたのではないかと愚考いたします。
ベートーヴェンおよびシューベルト以降の弦楽四重奏曲としては、まずシューマン、ブラームスの作品が考えられますが、いずれも彼らの室内楽のジャンルでは他の魅力に富んだ作品によって、弦楽四重奏曲は目立たない存在となっております。次いでドヴォルザークがおりますが、残した作品数に対する打率は低いといわざるを得ません。ドイツ・オーストリア以外の作品としては、ボロディンとチャイコフスキーに著名な曲があり、またグリーグやエルガー、シベリウスもすぐれた作品を残していますが、数の少なさは蔽うべくもありません。

そのような状況の中、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、フランスで生まれた弦楽四重奏曲は健闘していると申せましょう。フランク、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレそれぞれの作品は、このジャンルに新たな輝きをもたらした傑作ぞろいでございます。
これら4人の作曲家は、ただ1曲の作品を残したのみですが、いずれもユニークな作品で、現代に至るまで演奏され続けております。

ピアノ三重奏曲で作曲家としてデビューしたフランクは、その後は室内楽から離れ、次にこのジャンルに戻るのは50歳代の終わりになってからでした。1879年のピアノ五重奏曲がそれですが、これはフランクの「傑作の森」時代の幕開けともいうべき力作でございます。次いで1886年、64歳のときのヴァイオリン・ソナタはフランクの名声を高めました。そして1889年に着手され、翌年完成・初演された弦楽四重奏曲は、初演で大成功を収め、聴衆にも批評家にもきわめて好意的に迎えられました。
前年に初演された交響曲が不成功に終わり、一般から非常に冷淡に扱われたのに対して、この手のひら返しのような反応は、今日の目から見ると理解に苦しむような気がいたしますが、ともかく弦楽四重奏曲の成功でフランクはフランス楽壇の巨匠への道を切り開いたと思われました。しかしながら、不幸にしてフランクは、弦楽四重奏曲の初演からおよそ8か月後に、胸膜炎によって帰らぬ人となってしまったのでございます。

弦楽四重奏曲は最後から数えて2つ目の作品で、完成時にフランクは67歳でした。当時の67歳は、おそらく今日の後期高齢者に相当するかと思うのですが、この曲は長大かつ意欲的な作品で、とうてい老人の手に成るものとは思えません。規模の上では、交響曲を凌駕しております。
全曲は4楽章で構成され、フランクの代名詞ともいえる「循環形式」で書かれております。
第1楽章には長大な序奏があり、循環主題が主楽想となっております。続くソナタ形式のアレグロはニ短調で、展開部では序奏のテンポで循環主題が四声フーガを成し、アレグロの再現部の後はまたも序奏のテンポになってニ長調のコーダで終わります。楽章全体が緩・急・緩・急・緩というテンポ配置をとり、通常のアレグロ楽章とは著しく異なった形態を見せております。
第2楽章のスケルツォ、第3楽章のラルゲットも印象的ですが、終楽章ではこれまでの楽章が回想され、フランクの「循環形式」の総決算的な音楽となっております。

ここでは、この作品をピアノ連弾に編曲して演奏してみました。ピアノで演奏された弦楽四重奏曲、お楽しみいただければ幸甚です。


弦楽四重奏曲 ニ長調・全曲連続再生 

 第1楽章/ポーコ・レント ― アレグロ(I. Poco lento - Allegro) 
 第2楽章/スケルツォ:ヴィヴァーチェ(II. Scherzo : Vivace) 
 第3楽章/ラルゲット(III. Larghetto) 
 第4楽章/アレグロ・モルト(IV. Allegro molto) 

◇「あそびのピアノ連弾」に戻ります◇
◇編曲・MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma