エルガー/交響曲第2番 変ホ長調 作品63
(Edward Elgar : Symphony No.2 in E flat major, Op.63)

まだ無名の一地方音楽家だった頃の1889年、32歳のエルガーはハルツームの英雄ゴードン将軍をテーマにした「ゴードン交響曲」を構想します。これはいわばエルガーの「英雄交響曲」になるべき作品でしたが、やがてエルガーのゴードン将軍に対する気持ちも変化し、交響曲の作曲は放棄されました。
時は移って1909年、前年の第1交響曲で大成功を収めたエルガーは、2番目の交響曲に着手するにあたり、20年前に計画した「ゴードン交響曲」の素材を活かすことにいたしました。第2交響曲にはもはやゴードン将軍は描かれておりませんが、音楽のあちこちに見られるヒロイックな表現の一端には、かつての「英雄交響曲」の素材が寄与しているのかもしれません。
エルガーはこの交響曲を、自身の音楽の理解者であった国王エドワード7世に献呈するつもりで作曲に励んでおりましたが、エドワード7世は1910年の5月に逝去してしまいます。エルガーが国王の死をどのように受けとめたか詳細は存じませんが、ちょうど夏目漱石が「こころ」で描いたように、ひとつのかけがえのない時代が終わったことを痛烈に実感したのではないでしょうか?エドワード7世の在位は、エルガーが無名の音楽家から世界的大作曲家への道を歩んだ10年間にぴったり重なっているのでございます。
1911年の3月に完成した第2交響曲は、「前国王陛下エドワード7世の追憶」に献呈されております。

完成から2ヵ月後の5月24日、第2交響曲はエルガー自身の指揮により、ロンドンのクィーンズ・ホールで初演されました。
演奏会に集まった聴衆の多くは、3年前の第1交響曲のような音楽をエルガーの新作に期待していたのではないかと思われます。が、交響曲が終わったとき、聴衆は呆気にとられたような無反応を見せました。このときの印象を、エルガーはこう語っております。
「誰も彼も、詰め物をされた豚のようだ」
大英帝国の新しい時代を讃え、未来への希望を高らかに歌い上げる交響曲を期待した聴衆は、この新作交響曲の複雑で屈折した表現に肩透かしを食わされた気がしたのかもしれません。初演は大失敗に終わり、エルガーの音楽には「時代遅れ」というレッテルが貼られることになってしまいます。
この曲がその価値を認められるには、1920年にエードリアン・ボールトの指揮で演奏されて成功を収めるまで、およそ10年の歳月が必要でした。

第2交響曲は第1交響曲同様、4つの楽章から成っております。ただし、第1交響曲が第2楽章にスケルツォを置き、第3楽章と休みなく続けて演奏されるように書かれていたのに対し、第2交響曲では各楽章は連続することなく独立し、スケルツォに相当する音楽も第3楽章に置かれ、全体としては伝統的な4楽章構成と申せましょう。
一方、音楽としての性格は相当に複雑で、未来への希望をストレートに歌い上げた第1交響曲に比べて、この曲ははるかに取っ付きが悪いという気がいたします。

第1楽章は大規模なソナタ形式。変ホ長調で提示される第1主題は、全曲のモットー的意味合いをもっており、他の楽章にも姿を現します。

エルガーは第2交響曲のスコアの表紙に、イギリスの詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792〜1822)の最後期の詩「うた」から、
   「めったに、めったに来ない、汝、喜びの精霊よ!」
という1節を引用しており、第1主題は「喜びの精霊のモティーフ」などと称されることもあるようでございます。しかしながら、この詩句が第2交響曲とどのような関係をもっているのかは、いろいろ研究されてはいるようですが、現在に至っても謎のままとなっております。
第1楽章では、派手に盛り上がる提示部とは対照的に、展開部の大部分が静かでいくぶん神秘的な音楽になっているのも大きな特徴でございましょう。

第2楽章は葬送行進曲ふうのハ短調の音楽で、構成的には2部形式、あるいは展開部を欠いたソナタ形式と考えてよろしいでしょう。作品がエドワード7世に捧げられていることから、国王の崩御を悼む葬送音楽と考えられたこともございましたが、現在では1903年に逝去した友人、ロードウォルドへの追悼とされているようでございます。

ハ長調の第3楽章は「ロンド」と表記されておりますが、曲想は明らかにスケルツォで、エルガーが古風なようでもやはり20世紀の音楽家であることを再認識させられるような、かなり大胆な書法をもっております。中間部の後半には第1楽章展開部に現れたほの暗い旋律が大音響で再現し、強烈な印象を残します。

第4楽章は変ホ長調のフィナーレで、悠然とした第1主題と、いかにもイギリス的と形容したくなる堂々とした第2主題によるソナタ形式で書かれております。しかしながら、第1交響曲の場合とは大いに異なり、曲は最後に大きく盛り上がるのでなく、まるで落日の音楽ででもあるかのように、「喜びの精霊のモティーフ」を回想しながら、静かに、緩やかに閉じられております。おそらくは、このような曲想が初演当時の聴衆を戸惑わせたのではないかと愚考いたします。
ちなみに、コリン・ウィルソンはその著書の中で、第2交響曲の終楽章に触れた箇所で、「干し草作りの場面を描いた記録映画の伴奏音楽にはぴったりだ」などとこき下ろしております^^;

個人的な話ですが、私が初めてエルガーの交響曲を聴いたのは中学3年のときでしたが、第1交響曲には一度聴いただけで強く惹き込まれたのに、第2に対してはなんだかモヤモヤとしたはっきりしない感じを受けたものでございます。現在でも、どちらが好きかと問われれば「第1交響曲」と答えざるを得ません。が、第2交響曲の、輝かしい中にも一抹の寂寥感を帯びた味わいにも、最近では魅力を覚えるようにはなってきた気がいたします。

オーケストラで演奏されてこそ効果のあるこの曲を、ピアノ2台に編曲するというのは無意味としか申せませんが、例によってまったく個人的な興味から、こういうシロモノをでっち上げてみました。これを聴いて面白いと感じる方がおられるとはとても思えませんが、本当に何もすることのないときの暇つぶしにでもしていただければ幸甚ですm(__)m


交響曲第2番 変ホ長調 作品63・全曲連続再生 

第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテ(I. Allegro vivace e nobilmente) 
第2楽章:ラルゲット(II. Larghetto) 
第3楽章:ロンド/プレスト(III. Rondo : Presto) 
第4楽章:モデラート・エ・マエストーソ(IV. Moderato e maestoso) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:Jun-T ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma