デュカ/交響曲ハ長調
(Paul Dukas : Symphonie en ut majeur)

1892年、序曲「ポリュークト」で公式デビューを果たしたデュカ(デュカス)は、およそ5年間にわたる沈黙の後、大規模な交響曲を発表しました。1897年、デュカ32歳の年でございます。
「ポリュークト」初演後、デュカはオペラに取り組んでおりましたが、これを放棄し、1895年から翌年にかけて書き上げたのが、この交響曲でございました。初演はポール・ヴィダルの指揮でパリ・オペラ座で行われ、曲はヴィダルに献呈されております。
P.A.Dukas
ベートーヴェン以降、交響曲というジャンルはドイツ・オーストリアを中心に書き継がれ、19世紀も半ばを過ぎると、周辺の国々、とりわけロシアや東欧・北欧でも盛んに書かれるようになり、百花繚乱の様相を呈してまいります。
ところが、ウィーンと並んで音楽の中心地とされたパリを首都とするフランスでは、絶対音楽としての交響曲の傑作は数少なく、ようやく1880年代に入ってサン=サーンスの第3交響曲(1886年)、フランクのニ短調交響曲(1888年)が現れます。
そして1890年代、ショーソンの変ロ長調交響曲(1890年)に続いたのがデュカのハ長調交響曲であり、19世紀後半のフランスを代表する交響曲として、数少ない作品のひとつと申さねばなりません。この時期のフランスでは、ドビュッシーが音楽に新しい地平を切り拓き、交響曲に代表されるような伝統的なジャンルは有能な作曲家からは敬遠される傾向が強かっただけに、デュカの交響曲は貴重な存在でございます。

デュカは多楽章構成の作品を、交響曲とピアノ・ソナタの2曲しか残しておりません。しかしこれらはともに力作で、緊密でがっしりした骨組みをもち、しかも近代的な装いに彩られた完成度の高い音楽でございます。デュカが寡作で、しかも生前に多くの作品を破棄してしまったのは実にもったいないことでございます。

ハ長調の交響曲は、フランクやショーソンのそれと同様、3つの楽章から構成されております。フランクやサン=サーンスの暗から明へと進むドラマ性や、ショーソンの伸びやかな叙情性とは一線を画し、純粋に音楽を構築していく方向性は、いかにもデュカならではといったところでしょうか。その剛毅な音楽は、ベートーヴェンの英雄交響曲に淵源しているのではないか、という気すらいたします。

ちなみに、有名な交響的スケルツォ「魔法使いの弟子」は交響曲と同じ年に発表されておりますが、ひょっとすると、これは交響曲のスケルツォ楽章として構想されていたのではないでしょうか?仮にそれが当たっているとすると、この交響曲は4楽章構成、演奏時間50分を超える大作になっていたわけで、それはそれで、ぜひ聴いてみたい気がいたします。


 交響曲ハ長調・全曲連続再生 

 第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ、マ・コン・フォーコ 
        (Allegro non troppo vivace, ma con fuoco) 
 第2楽章:アンダンテ・エスプレッシーヴォ・エ・ソステヌート 
        (Andante espressivo e sostenuto) 
 第3楽章:アレグロ・スピリトーソ(Allegro spiritoso) 

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◇背景画像提供:「自然いっぱいの素材集」
◇編 曲:G. ウンベール ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma