ドビュッシー/弦楽四重奏曲ト短調 作品10
(Claude Debussy : Quatuor à cordes en sol mineur, Op.10)

ドビュッシーの弦楽四重奏曲は1893年、作曲者31歳の年に作曲されました。
ドビュッシー自身は弦楽四重奏曲を2曲書き上げる予定で、第1作にあたるト短調の曲に「第1番」とナンバリングしたのですが、結局「第2番」は作られることなく、この作品が唯一の弦楽四重奏曲になりました。「第1番」という番号だけは今日まで残されており、出版譜でも「弦楽四重奏曲第1番」とされております。
一方、「作品10」という作品番号ですが、これはもうドビュッシーのジョークと申しますか、遊び心でつけたものと思われます。そもそも、この作曲家にはこれ以外に作品番号の付された例がございません。弦楽四重奏曲という正統派のジャンルに挑んだ非正統派の青年作曲家が、曲名の上でも正統派ふうに正装してみました、という程度の意味で付けた「作品10」であろうかと推察されます。
もし「第2番」が書かれていたら、ドビュッシーがどんな作品番号を付けたのか、ちょっと興味のあるところではございます^^

さて、この当時、ドビュッシーは先輩のエルネスト・ショーソン(Ernest Chausson,1855〜1899)と親しく交流しておりました。富裕であったショーソンは貧乏なドビュッシーにしばしば経済的援助を与え、ドビュッシーはその感謝の念もこめてこの弦楽四重奏曲をショーソンに献呈しようとしたのですが、ショーソンは曲が気に入らず、ドビュッシーは献呈先を初演者のイザイ四重奏団に変更しております。ドビュッシーはショーソンに「あなたのためには、よりよい作品を別に書くことにします」という内容の手紙を送っておりますが、いろいろと他にも事情があり、この時期を境としてドビュッシーとショーソンとの交友は途絶えてしまいました。

弦楽四重奏曲は1893年12月29日、国民音楽協会の演奏会でイザイ四重奏団によって初演されましたが、賛否相半ばし、ドビュッシーの名声を決定的にすることはできませんでした。ドビュッシーが真に注目すべき作曲家として評価された「牧神の午後への前奏曲」の初演は、弦楽四重奏曲の初演からおよそ1年後のことになります。

弦楽四重奏曲は、伝統に則って4つの楽章から構成されております。とはいえ、循環形式の要素に加え、いかにもドビュッシーらしいモーダルな旋律法、機能和声を離脱した自由な和声法(作曲家のポール・デュカは「不協和音がむしろ心地よく響く」というような意味のことを発言しております)によって、実に近代的な美しい音楽になっております。
この曲とほとんど同時期に、チャイコフスキーの「悲愴交響曲」やドヴォルザークの「新世界交響曲」が初演されていることを考えると、ドビュッシーの斬新さは際立っていると申せましょう。

「あそびの音楽館」では、この作品をピアノ連弾で音にしてみることにいたしました。
編曲者はA. ベンフェルドという人で、経歴その他は一切不明でございます。特にピアノの効果を意識したアレンジにはなっておりませんが、本来弦楽器で演奏されるべき曲をピアノで鳴らしてみるのも一興とすれば、多少なりともお楽しみいただけるかもしれません。


弦楽四重奏曲ト短調 作品10・全曲連続再生 

第1楽章:活き活きと、そしてきわめて決然と(I. Animé et très décidé) 
第2楽章:かなり快速に、そしてごくリズミカルに(II. Assez vif et bien rythmé) 
第3楽章:アンダンティーノ、やさしく表情豊かに(III. Andantino, doucement expressif) 
第4楽章:ごく穏やかに ― きわめて躍動的に、そして情熱をもって 
       (IV. Très modéré - Très mouvementé et avec passion) 

◇あそびのピアノ連弾に戻ります◇
◇背景画像提供:自然いっぱいの素材集
◇編 曲:A. ベンフェルド ◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma