ブラームス/16のワルツ 作品39
(Johannes Brahms :16 Walzer, Op.39)

1862年、29歳のブラームスはウィーン・ジングアカデミー(合唱団)の指揮者の地位を得て、ウィーンに移住しました。この地では当時楽壇で絶大な発言力をもっていた美学者ハンスリック(Eduard Hanslick;1825〜1904)の強い支持を得て、大作曲家への道が開かれることになります。
この時期のブラームスは、主として歌曲、ピアノ曲、室内楽を主要ジャンルとする、どちらかといえば地味な作曲家として認識されておりました。およそ10年前にシューマンの手に成る評論「新しき道」で称揚され、専門家の間で作曲家としての名は広まっておりましたが、ストイックで一般受けのしない作風のために、いわば「通好み」のような存在だったわけでございます。

ウィーン移住の3年後、以前から関わりのあったリーター・ビーダーマン社から、家庭で気軽に楽しめる作品の依頼が舞い込んでまいりました。
この時代、中産階級が台頭し、家庭でピアノなどを中心とした演奏を楽しむ風潮が醸成され、特にピアノ連弾曲の需要が激増しており、出版社は競ってピアノ連弾曲を刊行していたのでございます。
このとき、ブラームスは7年ほど前から折に触れて書き溜めていた楽想のストックを利用して、簡潔なワルツを集めた作品を書き上げました。当時、ウィーンではヨハン・シュトラウスを筆頭とするウィンナ・ワルツが大流行しておりましたが、ブラームスはそうしたワルツに比べてはるかに小規模かつ官能性に重きを置かない、むしろ素朴な小品集として作曲したのでした。
ブラームス自身はこのような曲集が受けるとは思っていなかったのですが、予期に反して楽譜は大いに売れ、原曲を独奏用に編曲した版も大人気となりました。とりわけ、第15番は「愛のワルツ」というニックネームも付けられ、今日でも一般によく知られております。

「16のワルツ」はハンスリックに献呈されました。ハンスリックは1863年にブラームスのピアノ・ソナタ第3番を聴いてこの作曲家に惚れこみ、そのシリアスかつ重厚な作風を高く評価しておりました。そうしたブラームスに献呈されたのがワルツだったことに驚きながら、ハンスリックは以下のように書いております。
「真面目で静かなブラームス、シューマンの真の弟子、北ドイツのプロテスタントでかくも非世俗的な人物が、ワルツを書くとは!この謎を解く鍵はただひとつ、ウィーン。この都市はシューマンにさえ舞曲を書かせた。ブラームスのワルツも彼のウィーン滞在の甘美な成果であることは疑いない」

この曲集は題名通り、16曲のワルツで出来ておりますが、各曲の独立性は希薄で、全曲連続演奏が想定されて書かれていることは明らかでございます。
ここでは、2曲または3曲をひとまとめにして何回かに分けて掲載いたします。お楽しみいただければ幸甚です。


16のワルツ 作品39・全曲連続再生 

第1番ロ長調・第2番ホ長調(I. B dur - II. E dur) 
第3番嬰ト短調・第4番ホ短調・第5番ホ長調(III. gis moll - IV. e moll - V. E dur) 
第6番嬰ハ長調・第7番嬰ハ短調(VI. Cis dur - VII. cis moll) 
第8番変ロ長調・第9番ニ短調・第10番ト長調(VIII. B dur - IX. d moll - X. G dur) 
第11番ロ短調・第12番ホ長調(XI. h moll - XII. E dur) 
第13番ハ長調・第14番イ短調(XIII. C dur - XIV. a moll) 
第15番イ長調・第16番ニ短調(XV. A dur - XVI. d moll) 

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◇MIDIデータ作成:Jun-T ◇録 音:jimma